断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

入試シーズンに思うこと(3)

 かれこれ10年も前になるが、小林秀雄の「鐔」 というエッセイが、センター試験に出題されたことがあった。ネット上では「並みの書き手ではない」と褒める人がいる一方で、「感情の赴くままに書かれている」、「非論理的で主観的」、「こんなもの出題するな」などといった否定的意見が多かった。
 小林秀雄の文章はそんなに非論理的で読みづらかったのだろうか。入試に出された「鐔」というエッセイから、中核的な部分を引いてみよう。


 鉄の地金に、鑿で文様を抜いた鐔を透鐔と言うが、この透というものが鐔の最初の化粧であり、彫や象嵌が発達しても、鐔の基本的な装飾たることを止めない。刀匠や甲冑師は、ただ地金を丸く薄く固く鍛えれば足りたのだが、いつの間にか、星だとか花だとか或は鎌だとか斧だとか、日常、誰にでも親しい物の形が、文様となって現れて来た。地金を鍛えている人が、そんな形を抜きたくなったのか、客の註文に応えたのか、そんな事は、決して分かる筈がないという処が面白い。もし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。装飾は実用と手を握っている。透の美しさは、鐔の堅牢と軽快とを語り、これを保証しているところにある。様々な流派が出来て文様透がだんだん巧緻になっても、この基本の性質は失われない。又、この性質は、彫や象嵌の世界ででも、消極的にだが守られているのであり、彫でも象嵌でも、美しいと感ずるものは、必ず地金という素材の確かさを保証しているように思われる。戦がなくなり、地金の鍛えもどうでもよくなって来れば、鐔の装飾は、大地を奪われ、空疎な自由に転落する。名人芸も、これを救うに足りぬ。

 
 日本刀の鐔は、初めは実用本位であったが、鑿でくり抜いて文様が作られた。これが「透」である。透は実用性の延長上にあるが、しかしそのために「堅牢かつ軽快」という特質が最もよく表れている。そこには鐔の美の精髄とも言うべきものがある。装飾がさらに発達すれば、象嵌のような凝ったものになってゆくわけだが、しかしどれほど装飾化が進んでも、美しさの基本はこの透にある。 戦国時代が終わると実用上の要求は失われ、装飾本位の鐔が作られるようになるが、そうなるとかえって、鐔の美は失われてしまう。以上が引用箇所の論旨である。
 こうして見てみると、多少読みづらい文章ではあるけれど、決して非論理的とはいえない。むしろ論理の構造自体はがっちりしていると言ってよいほどだ。ただその進行が、ところどころ直線的でないだけである。
 実をいうと、こんな文章よりよほど非論理的な(つまり書き方がまずい)文章も、センター試験では出題されていたのである。ただしそれは小林秀雄より難しくない(論理の展開が緩い)から、さほど問題視されなかっただけである。
 問題はこの文章が、古文や漢文などと一緒に出されてしまったことだろう。時間配分を誤って、できる問題もできなかった学生がたくさんいたはずである。その意味でこの文章は出題すべきではなかったし、色々な意味で悪い結果を残してしまったと思う。