断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

2011-01-01から1年間の記事一覧

日本語と自動車のデザイン

近頃は日本車のデザインも大分よくなった。一昔前までは日本車というと、見るからに野暮であったが、最近はそんなことも少なくなった。十年十五年前までは、ヨーロッパ車とのデザイン面での差は歴然としていたのである。 その頃、生まれてはじめてヨーロッパ…

「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展

静岡市美術館でやっている「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展に行ってきた。平日の朝一番ということもあり、館内はがらがらで、おかげでゆったりと回ることができた。これは地方に住んでいることの役得みたいなものであろう。東京では絶対にこうは行か…

高学歴ワーキングプアーの解消

先日、久しぶりで学生時代の研究室へ行ってきた。私がいたのは、かれこれ十年も前のことだから、学生もすっかり代替わりしてしまっている。たまたまその日は顔見知りの後輩が研究室の番をしていたので、最近のことを色々と聞くことができた。 近年めっきり、…

クラシック音楽とは何か?

十代のころ、私はモーツァルトの音楽ばかり聴いて過ごしていた。明けても暮れてもモーツァルト、他には趣味らしい趣味もない日々だった。教養をつけようとか、そんな聴き方ではなく、純粋な楽しみからそうしていたのだが、こんな偏頗なことをしていれば他の…

車・スキー・ウィンドサーフィン

ご存知のとおりドイツのアウトバーンは速度無制限で走れる。しかしいくらスピードが出ていても、自分でハンドルを握っていなければ面白くない。「車を動かしている」という感覚がないからである。 むろん車を動かしているのは、実際には機械のエンジンであっ…

私の好きな小説6(林芙美子「晩菊」)

林芙美子の晩年の名作。主人公きんは、かつて美貌をうたわれた芸者上がりで、五十をすぎても外見はまるで三十代のように若い。彼女は数年前に田部という書生と関係をもったが、その田部が再会のためにきんを訪れる。じつは田部の目的は彼女の金なのだが、そ…

私の好きな小説5(太宰治「ヴィヨンの妻」)

言わずと知れた太宰治の名作で、こんなところで私がとり上げるまでもない有名な作品であるが、この小説の末尾近くにある「中野のお店の土間で、夫が、酒のはいったコップをテーブルの上に置いて、ひとりで新聞を読んでいました。コップに午前の陽の光が当っ…

私の好きな小説4(川崎長太郎「鳳仙花」)

川崎長太郎のいわゆる「抹香町もの」は、小田原抹香町の私娼街を舞台に、作者の分身川上竹七と娼婦たちの交渉を描いたもので、「鳳仙花」はその代表作である。 海辺の物置小屋に浮浪者同然の生活を送る老作家竹七と、「東京本所生れの、いわずと知れた下積者…

「高貴なる」日本人

今、授業で東日本震災関連のドイツの雑誌記事を扱っている。震災直後の日本人のモラルの高さ、原発事故での作業員の自己犠牲精神などを、日本社会の強い共同体意識から説明し、背景として日本の歴史に言及する、といった内容である。 これは、日本的な共同体…

私の好きな小説3(坂口安吾「私は海をだきしめていたい」)

安吾の「私小説」は、独特の分析的な文体で書かれている。「私は海をだきしめたい」もそうした「分析的私小説」の一つである。 分析は物語の時間をせき止め、出来事の自然な継起を中断するから、ときに不自然で息苦しい印象を与える。 だが、「私は海をだき…

教師の新学期

また新学期が始まった。およそ二ヶ月ぶりである。 いつものことながら、長い休みの後に仕事に出るのは気が重い。しかし久々に学生たちに会って話をすると、ちょっとだけ気が晴れた。私はあまり社交的な人間ではないが、学生と接するのは嫌いではない。 自分…

私の好きな小説2(デイヴィッド・ガーネット「狐になった奥様」)

妻が狐に変身してしまった男の話。これは色々な意味でカフカの「変身」と対照的な小説である。 一方は虫に変身した男の疎外と絶望の物語、他方は妻に動物に変身されてしまった男の疎外と愛の物語。 一方は人間性の零度を描いた物語、他方は人間性の限界を超…

私の好きな小説1(北杜夫「こども」)

医者から不妊症を言い渡された男が、他人の精子を使った人工授精を決意する。妻は晴れて妊娠するが、出産直後、あっけなく死んでしまう。残された男は、自分の子でないその子供を、わが手で育てることを余儀なくされる。 子供は成長するにつれて邪悪な本性を…

ついでに言うと

辞書のことを書いた「ついで」に、語学の話題をもう一つ。 年度のはじめに私は、アンケートと称して授業への抱負や要望、質問などを書かせる。趣味や興味関心など個人的なことも書いてもらう。学期はじめだから大した意見が来るわけではないが、中には絵を書…

辞書と私

文科系の研究者がこうした題で作文するとき、辞書と自分の「親しい関係」について語ることが多い。辞書に関するさまざまなうんちくとか、同じ辞書を何十年もぼろぼろになるまで使っているとか、そういう話題である。残念ながら私のはそんな話ではない。学生…

静岡の風景

静岡の山は南アルプスの南端に位置しており、安倍川や大井川などはそこから流れ出ている。 安倍川の源流部には梅ヶ島の温泉郷があり、そこまではバスで行けるが、途中の谷沿いの風景は、思いのほか深く険しい。大井川はアプローチが長く、本当に急峻な風景が…

ベトナムの葬式

ベトナムでの滞在歴が長い知人の話である。 あるとき彼が、ベトナム人の友人にアルバムを見せてもらったところ、目をつぶっている老人の写真があった。誰の写真かと訊くと、死んだお祖父さんのものだという。何だかひどく顔色が悪い。よく見ると四角い箱にお…

温泉今昔 1、那須元湯

ここは数百年の歴史のある古い共同湯で、建物の梁や柱から歴史の匂いがぷんぷん漂ってくる。私が行ったの五月の連休中で、かなり混んでいた。小さめの浴槽がたくさん並んでいたので、その中から比較的空いているのを選び、勢いよくザブンと入ろうとすると、…

温泉今昔 2、バーデン・バーデン

バーデン・バーデンはドイツ南西部の温泉地で、温泉のほかにカジノなどもある高級保養地である。かれこれ十年以上も前、フライブルクへ向かう旅行中に立ち寄ったが、貧乏学生だった私が泊まったのは、一泊二千円だか三千円だかのユースホステルだった。高級…

温泉今昔 3、北関東の某温泉

本来温泉名を挙げるべきだが、内容が内容なので名前は伏せる。場所は北関東の山奥の宿である。ちなみにパソコンで検索してみたところ、宿はすでに建て替えられて立派なホテルになっていた。 そこへはサークルの仲間と一緒に行ったのだが、到着早々部屋に通さ…

パウル・クレー/おわらないアトリエ(東京国立近代美術館)

一人の画家を特集した展覧会は美術展の醍醐味である。しかしその楽しみ方は画家によって異なる。たとえばマティスやシャガールのような一個の明確な画風をもっている画家と、クレーのように無数の様式を試みた画家とでは、おのずと別種のものとなるのである…

ちょっと個人的なこと

私は筋金入りの夜型人間で、たまたま早起きしても午前中はぼうっとして過ごしてしまう。一度、朝八時半からの授業があって、週にいっぺん、六時半に起きて出かけたのだが、昼過ぎに仕事が終わるとぐったりし、その後も一日中体中がだるくて参った。 これは私…

将棋王将戦を観てきた

今年の一月、掛川で王将戦を観戦してきた。以下の記事は、そのとき書いてまだアップしていなかったものである。 ※ 隣町の掛川で将棋の王将戦第2局を観戦。久保王将と若い豊島六段の対決である。久保王将は目下二冠王、対する豊島六段は今回が初のタイトル戦…

「カンディンスキーと青騎士」展

アンフォルメル展に関連してなのだが、今年の一月、丸の内の三菱美術館でやっていた「カンディンスキーと青騎士展」を見たので、そのことを書きたい。 「青騎士展」と銘打ってはいたものの、実質はほとんどカンディンスキー展で、習作時代から印象画風の過渡…

芥川龍之介と批評

少し前のことだが、作家の保坂和志氏がこんなことを書いていた。「小説家であることの一番の収穫は小説家であることだ。小説を書いているとつくづく自分は小説を書くのが向いていると思う。」(「小説の贅沢さ」、朝日新聞三月二十四日夕刊) 戯曲を書くとい…

アンフォルメル展(ブリヂストン美術館)

京橋のブリヂストン美術館で開かれている「アンフォルメルとは何か」展を見てきた。 美術史におけるアンフォルメルとは、第二次大戦後まもなくフランスで興った絵画運動で、同時期のアメリカの抽象表現主義とならんで、俗に「熱い抽象」などと呼ばれている。…

シューマンの「春」

シューマンの交響曲第一番「春」のような曲を聴くと、シューマンは、ベートーヴェンを体で知っていた、おそらく最後の世代であるような気がしてくる。シューマンの中ではベートーヴェンは、まだ生の形で生きている。むろん音楽語法とは別次元の、無意識的な…

スティーヴン・スターリクのモーツァルト

スティーヴン・スターリクによるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲5番をラジオで聴いた。 スターリクのヴァイオリンの屈託のない音の響き、帆船が風をいっぱいにはらむようなのびやかで堂々たる弾きっぷりは、私には「モーツァルトをいかに弾くか」という問…

日本の再生

震災の後、これを機に新しい日本を作ろうという意見をよく見かける。地震による負債をむしろスプリングボードにして、日本を再生させようというのである。 V字復興だとか、戦後の高度成長の再現だとか、色々と勇ましいことが言われている。あるいはもう少し…

静岡の春

現在私は静岡から20キロほど離れたところに住んでいるが、今の季節、四月のはじめから半ばにかけてのこの時期は、静岡で一番美しい季節だと思う。桜を残したまますでに若葉が芽吹いているが、それが実に多彩なのである。 先日、住んでいる町からちょっと山…