断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

高学歴ワーキングプアーの解消

 先日、久しぶりで学生時代の研究室へ行ってきた。私がいたのは、かれこれ十年も前のことだから、学生もすっかり代替わりしてしまっている。たまたまその日は顔見知りの後輩が研究室の番をしていたので、最近のことを色々と聞くことができた。
 近年めっきり、博士課程の学生数が減ったそうである。それも半端な減り方ではない。私がいた頃より六、七割目減りしているのである。こういうご時勢で、しかも就職の見込みなどないに等しい文学部大学院となれば、むしろ学生数が減らないほうがおかしいくらいなのだが、反面、今いる学生は経済的に恵まれているらしく、ちょっと前に彼が、時給二千円の試験監督のバイトを学生たちに紹介したところ、誰も食いつかなかったという。試験会場に行って座っているだけで数千円が手に入るのである。こんなオイシイ話はないと思うのだが、結局仕事のやり手は見つからなかったらしい。
 たまたま予定が合わない者ばかりだったのかもしれない。あるいは何となく気が進まなかったのかもしれない。そのあたりの真相は不明だが、今後、大学院に行けるのはもはや一部の金持ちだけ、研究だけしてればOK、バイトなんてする必要なし、なんて状態になっていないとも限らない。
 それはそれでメデタイ話だと思う。一時期、いわゆる高学歴ワーキングプアーが問題になったが、かりに金持ちだけが大学院に進むようになれば、この問題も自然解消である。前提的にプアーになるおそれのない人間が行けば、なりたくてもプアーになどなれないからである。そんな皮肉はともかくとして、文学研究などという代物は、結局、金持ちの有閑階級がやっていればいいのかもしれないなどと思ったりもするのである。(付記:この記事を書いてからすでに数年たつが、今現在の筆者にとって、この手の制度上の問題はほとんど関心をひかなくなってしまった。結局大切なのは自分自身の仕事であり、爾余は「どうでもいいこと」である。)