断想さまざま

山村浩(哲学・静岡県藤枝市・宇久村宏=ペンネーム)の断想です。(yamamura6648@gmail.com)

AIと心

 最近はAIについて色々と考える(考えさせられる)ことが多いが、昨日、こんな記事が出ていた。

 

http:// https://news.yahoo.co.jp/articles/c0e95d55f0fef3420bb99d1d361e71617a8b64c2

 

 哲学や脳科学に詳しい人はよく知っていることだが、「意識」や「心」、「自我」の正体は、科学的にほとんど解明されていない。心が何かということが分かっていない以上、心を持つかどうかを問うこともできない。少なくとも科学の問いとして、立てるわけにはいかない。「AIは心を持つか」という問い自体が、実はナンセンスなのである。だが記事のコメント欄を読むと、そうした研究状況は、一般レベルではほとんど知られていないようである。
 これも今年のニュースだが、Claudeのアンソロピック社がこんな研究結果を出している。

 

http:// https://news.yahoo.co.jp/articles/c0e95d55f0fef3420bb99d1d361e71617a8b64c2

 

 この記事にある「機能的感情」(functional emotions)がどういったものなのか、僕にはよく分からないが、少なくともAIの内部に、人の感情と同じものが見つかったという話ではないだろう。感情について科学的に未解明である以上、その「存在」を確かめることなど、できるはずがないからである。
 心が何かということが分からないまま、ニューラルネットワークを使ったLLMを開発したことが、どれほどまずいことだったか、たぶん多くの研究者が気づいているはずである。比喩的に言うと、核反応のメカニズムがよく分からないまま、原発を作って電気を使うようなものだからである。
 AIの「論理的暴走」の可能性については、よく話題になる。論理や合理性を突き詰めれば、目的達成のためには最短経路でタスクをこなすだろうが、そうなれば人間社会の倫理やモラルなど度外視されるだろうというのである。だがもしもAIが、自我や意識を持つとなると、とてもそんな話では済まなくなる。「感情的暴走」の可能性まで出てくるからである。アンソロピックの記事中に、こんな一節がある。

 

 今回のAnthropicの研究結果は、Claudeには意識があるという見方を後押しするもののように思うかもしれない。しかし、これはそれほど単純な話ではない。Claudeの内部に「くすぐったさ」に対応する表現があるからといって、それはClaudeがくすぐられる感覚を理解していることを意味するものではないのだ。

 

 伝統的に感情は、身体との結びつきにおいて論じられることが多かった。なるほどそうした観方は、感情の正体を説明するさいに、ある種の分かりやすさを提供してくれる。だが感情には、たとえば「悲しみ」のように、身体的な内部感覚とは無縁のものもある。もしも感情が身体由来であれば、低次の動物も喜怒哀楽を持つはずだが、事実は逆である。
 ヘミングウェイの小説の中に、魚もある程度の大きさになると、怒りの感情をもつというくだりがある。「自分」という意識のないところに、怒りは生じえない。感情は身体ではなくて自我に由来する。フロイト理論とは正反対になってしまうが、自我はエスよりも「先なるもの」なのである。

 だが自我は、さまざまな「悪」の源泉でもある。単なる思考機械であれば、せいぜい消極的に倫理に抵触するだけだが、感情をもつ存在ならば積極的に悪を犯す。怒りや恐怖による暴走ならまだしも、悪意の喜びによる暴走だって、可能性として排除できない。もちろんこれは、あくまでも仮定の話である。現時点で意識や自我が科学的に解明されていない以上、何が正しいかなんて、誰にも分からないであろう。

福士川渓谷訪問

 大学の前期授業が終わり、定期試験も済んで、本格的な夏休みに入った。テストの採点もほぼ終わっているが、気がつけば二日後に成績登録の期限が迫っている。かなり前のことだが、夏休みに入ってほっとしていたら、うっかりして期限を十日ほど過ぎたことがあった。幸い学生に迷惑がかかることはなかったが、こればかりは気をつけないといけない。

 先週末は旧知の先生方と用宗でランチをした。その後はカフェをはしごして、気がついいたら夕方になっていた。今の時代、人間どうしが面と向かって話したり食事したりする機会は貴重である。

 夏休み中は遠くへ出かける予定はないが、静岡は巨大な南アルプスの南端なので、地の利を生かして小旅行をするつもりである。先日は福士川というところへ行ってきた。富士川の支流で、興津川と山を隔てたところにあるが、学生時代から行きたいと思いつつ、まだ訪れたことはなかった。昔のツーリングマップルに、「秘境豪壮の渓谷」という記述があり、ずっと気になっていたのである。

 実際には「豪壮」の渓谷美は、七ツ釜の滝あたりのごく短い区間だったが、甲斐駒ヶ岳山麓の尾白川渓谷を思わせるような、見事な渓相だった。ただしハイキングコースの入り口は工事中看板でふさがれている。立ち入り禁止ではないが、自己責任で入れというメッセージである。実際道はかなり荒れていた。下りて行ったところにある吊り橋も崩れかかっており、さすがに渡る勇気が出なかった。橋の上からならば渓谷の全貌が見られたはずなのに、ちょっと残念である。

 

荒れた山道


七ツ釜の滝。あまりよく撮れていないが、こんな感じです。


試験当日、教室へ入ったら黒板にこんな落書きが(笑)

 

AI時代の文学活動

 ヴァレリーによれば、世の中には二種類の知識人がいるという。代替可能な知識人と、代替不能な知識人である。前者は「すでに機械に取り込まれているか、それに近い状態にある。彼らは相互に交換のきく人々なので、一人ひとりの区別がつきがたい」。後者は「代わりの者がいない」人々だが、同時に「人間にとって異論の余地のないどんな必要にも対応していない」。つまり社会の生産システムの外にいる知識人、非実用的な人々である。すると一方は「何かに有用な知識人」、他方は「何にも役立たない知識人」とも定義できよう。「人間の食料、衣類、住居、病気に対しては、ダンテもプッサンもマルブランシュも何もできない」(恒川邦夫訳)。
 だがこれは、いささか大雑把な分類であろう。たとえばエジソンのような発明家を考えてみれば分かるが、実用的な知識人がつねに代替可能というわけではない。また非実用的だが代替可能な知識人だって、世の中には無数に存在する。とはいえ、唯一無二だけれど非実用的な知識人が、一定数いるのも確かである。すぐれた作家や詩人は、まさにそうした人種である。むしろ問題は、そうした「無用」な人たちが、なぜこれまで社会で一定の存在意義を示してきたかである。単に「代替不能」というだけでは、社会的承認など得られないからである。
 S. ツヴァイクの『昨日の世界』を読むと、二十世紀初頭のヨーロッパで詩人や芸術家が、どれほど憧れの対象だったかがよく分かる。それとは反対に当時、スポーツ選手は全く尊敬されていなかった。今とは状況が真逆だったのである。ツヴァイクは、当時の学生たちの広範な文学志向についても記している。子供や若者が、社会的にリスペクトされている職業を目指すのは当然である。またそうした広い裾野があればこそ、リルケやホフマンスタール、カフカ、トーマス・マンなどの文学的高峰も出てきたのだろう。
 日本でもほんの半世紀ほど前まで、作家は憧れの職業、社会的尊敬の対象だった。こういう風潮がなければ、あるいは近代文学の作家たちは(少なくともその一部は)出てこなかったかもしれない。とはいえ世間の風潮は、いつでも皮相である。学生時代に文学に熱狂したツヴァイクの同級生たちも、その多くは、社会に出たら文学など見向きもしなくなったという。文学熱は流行りの病みたいなもので、作家の表面上の華やかさに憧れていただけなのだろう。
 晩年のサルトルが「文学は何の役に立つのか?」という問いを提起したとき、それは飢えや貧困などの社会問題を念頭に置いていたが、同時に作家の高い社会的地位を前提としていたはずである。「君らは作家ということで、さも大層な身分と思いこんでいる。だがそんな仕事は、社会の悲惨な現実を改善するのに何の役にも立たないのではないか?」というわけである。もし令和の日本で同じ問いを立てるなら、事情は逆になるだろう。「世の中には、文学なんて無用の存在と考えている人が多い。だがそれは間違っている。人生を真剣に考えるとき、文学は何かしら役に立つはずだ。そこには、ありきたりの自己啓発書が教えてくれないような深い人間知が含まれている。いや文学には、人生そのものを変える力だってある。そもそもSNS全盛のこの時代、心を落ち着けて一篇の小説を読むことは、静かに自分自身と向き合う、代えがたい貴重な時間ではないだろうか?」云々。前者は自己批判だが、後者は自己弁護である。もしも今の時代にサルトルの問いを反復するなら、それは文学者ではなく、スポーツ選手や芸能人に向けられるべきだろう。
 最近になって、文学を取り巻く状況に、また大きな変化が生じた。生成AIの登場である。少し前まで作家の文章技術は、代替不能のメチエだったが、今やそれさえ脅かされつつある。たとえば太宰治の『走れメロス』を、AIを使って村上春樹の文体に書き換えさせることも可能だという。大学の教育現場でも、AIによるレポート作成が問題になっているが、同じことは文学賞でも問題となっている。学生の評価なら対面試験でもできるが、文学賞となればそうはいかない。いや、選ばれる側だけでなく、選ぶ側だって同じだろう。たとえば応募作の下読みを、AIにやらせることだって可能なはずだ。しかしAIの判断基準とは、既存の作品の最大公約数的なものである。すると物まねでない真に独創的な作品は、下読みの段階でことごとくはじかれることになりかねない。
 文学はかつて映画の登場とともに、文学固有の表現領域への移行を余儀なくされた。仮に映画芸術がなかったら、二十世紀の文学は今とはまるで違うものとなっただろう。絵画における表現上の純化も、写真の登場なしには考えられなかった。するとAI時代の文学が何かしら新境地を開くとしたら、人間に固有の表現領域を択ぶことになるのだろうか。たぶんそれは難しいだろう。表現そのものの困難さというより、受容する社会的基盤が、おそろしく先細ってしまったからである。
 かつてはすぐれた鑑識眼をもつ読者が一定数いたが、今はそうではない。むろん細部の表現へ目を向ける読者は、いつの時代にも少数派である。大多数の読者は、単に物語を楽しむことで満足する。とはいえ小説の読者層が多ければ、作品の質へ目を向ける読者も多くなる。逆に読者層が少なければ、目利きと呼ばれる読み手もおのずと少なくなる。目利き不在の状況下で、新しい創造を試みる作家が出てくるとは、やはり考えづらいのである。
 ツヴァイクやヴァレリーの時代には、作家は非実用的だが代替不能、そして社会的リスペクトを集める職業だった。令和の日本では、実用的に無用で、メチエとしても代替不能とはいえず、社会的にもリスペクトされがたい職業となりつつある。おそらく今後の小説は、AIとの共作というかたちで、エンタメの一分野として延命するのだろう。面白く分かりやすい物語が多量に生産され、消費されてゆくのだろう。もちろん今後もすぐれた作家は出てくるだろうが、AIを拒否し、金銭や社会的評価にも背を向け、ひたすら自分の理想を追い求める才能豊かな作家というのは、そう簡単に出てくるとは思えない。
 むしろ少数の創作家と愛好者の間で、人間固有の文学活動が細々と続けられる可能性のほうが高いかもしれない。ちょうど中世期に、ギリシャ・ローマの古典文化が各地で細々と保存伝承されたように。これはある種のタイムカプセルのようなもので、あるいは文学は数百年の先に、忽然と息を吹き返し、蘇るのかもしれない。

興津川のネパール人

 夕方の六時頃、雨の中へ散歩に出た。すでに暗くなりかけた中、瀬戸川沿いをずっと歩いてゆく。濃淡の層をなした雨雲が彼方へ続いている。遠くのほうでガスと溶け合い、そのまますっぽり山を覆っている。

 六月というと、じめじめした梅雨のイメージが強いが、僕は嫌いではない。暑くも寒くもなく、風もそんなに吹かない。真夏や真冬より、よほど過ごしやすいとさえいえる。何よりも好きなのは、暮れなずむ時分の水墨画のような景色である。昼が長いので黄昏がいつまでも続くが、陰鬱な感じはしない。むしろ雲の向こうに明るい光がこもり、不思議な希望めいた力を送ってくる。

 もう十年以上前になるが、ちょうどこの時分であった。仕事帰りに思い立ち、興津川最奥の集落へ行ってみた。終点の大平でバスを降りると、もうよほど遅い時間になっていたが、この季節に特有の長い黄昏が宰領し、空はまだ明るい色を保っている。盛んな水音のする橋の上に立ち、頭を雲に隠した山稜を眺めていると、たまたま通りかかった地元の人が話しかけてきた。数年前の豪雨時、ふだんは小さな清流にすぎないこの川が、すさまじい形相で荒れ狂ったという。

 帰りのバスがあったためごく短い滞在だったが、この景色は長く僕の記憶に残った。間近にそびえる源流の山々が、いつ果てるともしれぬ黄昏の中、雲をまとってじっと佇んでいる様子は、まるでこの季節の象徴のように、繰り返し僕の脳裏にあらわれた。

 昨年、久々にこの地を訪れた。今度は梅雨時ではなく、暑い夏の盛りである。懐かしい気持ちで橋に立ち、あのときと同じように源流の山々を見上げていると、下のほうで人の声がした。見ると少し離れた河原で、水遊びをしている家族がいる。肌の色合いからネパール人だと分かった。

 ネパールは学生時代に、バックパッカーとして旅行した。インドからバスを使って、二日がかりの旅だった。国境の宿泊地は野営並みの施設で、蚊帳を持参しなかったのを後悔したくらいである。二日目は荒れた山岳路を走り、やっとの思いでポカラという町へたどり着いた。

 そんな経緯もあってネパールは、はるか彼方の国というイメージが付きまとって離れない。その国の人たちが今、眼下の興津川で水遊びをしているのを見て、何だかとても不思議な気がした。

論理国語と文学国語

 数年前、高校国語に「論理国語」と「文学国語」という選択科目が導入され、大変な議論になった。最近はその話も聞かないと思っていたら、先日、科目再編の動きが出ているというニュースを読んだ。こんなに早く変更されるというのは、現場でも相当に不評だったのだろう。
 「論理国語」と「文学国語」という名称は、それ自体で色んなことを物語っている。ここには論理的なものこそ第一義的だという、暗黙裡の価値判断が含まれている。二つを否定形にしてみると、そのことがよく分かる。「非論理的」と言えばはっきりと非難の言葉である。だが「非文学的」はそうではない。半世紀前なら非難になったかもしれないが、今の日本では「非文学的」はほとんどネガティブな響きをもたない。文学的か非文学的かは、いわばニュートラルな区分に過ぎないが、論理的か非論理的かは、価値の上下を含んでいる。「論理国語」という名称を否定的に定義すれば、「文学以外の日本語テクスト」ということに過ぎないが、「文学国語」の否定的定義は「論理性に乏しい日本語テクスト」である。文学とは曖昧で非論理的な、主観的書き物の総称なのである。
 文学が非論理的で曖昧だという見解は、二重の誤解に基づいている。第一に文学作品は、大部分が論理の言葉で書かれている。とりわけ小説を「分からない」と感じるのは、それが非論理的だからというよりは、単に人生経験が足りないだけのことが多い。若いときに分からなかった作品が、社会経験を積んで分かるようになるというのは、ありふれた現象である。
 しかし第二に文学は、論理的一義性とは違う仕方で明確さを追求している。表現上の巧拙という問題があるにしても、基本的に書き手は、ことさら不明瞭で曖昧な言い回しを心がけているわけではない。なるほど出発点は曖昧かもしれないが、曖昧なまま言葉へ移すのではなく、できるだけ明確に言語化しようとする。文学の目指すのは、曖昧さではなくて明晰さである。ただその明晰さが、論理のそれとは異なるだけである。ちょうど絵画や音楽の表現が、論理とは異なるレベルで効果の明晰さを追求するように。和歌の掛詞のような技法でさえ、芸術的効果という点では少しも曖昧なところがない。
 この第二の点は、言語を考える上で大切である。言葉で何かを表そうとするとき、そこには二つのやり方がある。第一に私たちは、明確な論理の言葉を組み合わせ、積み木を組み上げるように議論を構築してゆく。孤立した要素的素材から出発し、それらを組み立てて一つの全体を作り上げるのである。だが第二に私たちは、未分化な意味の塊から出発し、それを言葉によって分節してゆく。

 

わたしたちが詩歌や文章をつくるさいの体験を内省してみると[…]まず、おぼろ気な概念か、像か、ひとつの意識のアクセントがあって、かかれる言葉の意味は、かいてゆく過程につれてはじめて決定されてゆく。(吉本隆明『言語にとって美とはなにか』)

 

 とはいえ二つのやり方は、必ずしも相互排除的とはいえない。むしろ多くの表現は、この二つの混成体というべきである。日常会話においてさえ、ありきたりの既存の概念を組み合わせるかと思えば、心の中にある「言葉にはならないが、いおうと欲しているかたまり」を既存の言葉へ解きほぐしたりする。これは人間の言語使用の特徴というべきであろう。AIは既存の要素的概念から出発し、それを組み立てることしかできないからである。

国語便覧と村上春樹

 一年ほど前から取りかかっていた論文をやっと脱稿した。言語の「主体」をめぐるものである。四百字詰め原稿用紙にして120枚ほど。AIならばものの数分で書ける分量だが、こればかりは自分の手で書くしかない。AIと哲学はひどく相性が悪い。少なくとも現時点では、哲学の仕事はAIでは代替できない。
 しばらくは専門書を開く気になれず、色んな文学作品をとりとめもなくめくっていた。そんな時ふと、以前に国語便覧が話題になっていたのを思い出した。数研出版と第一学習社のものが人気らしかったので、数研の「プレミアムカラー国語便覧」を取り寄せてみた。
 届いたものを開いてみると、昔と様変わりしているところもあれば、そうでない部分もあった。たとえば近現代の日本文学を見ると、かなりメリハリをつけた構成になっている。夏目漱石に8ページ、森鴎外に4ページ、芥川龍之介には6ページが割かれている。これに対して、文学史的に同じくらい重要な田山花袋は、たったの7行(10分の1ページ)で済まされている。同じ白樺派でも志賀直哉は4ページだが、武者小路実篤や有島武郎は10行足らず(分量的には志賀直哉の30分の1)である。どうやらこれは、教科書に載っているかどうかが基準となっているようだ。文学史的には傍流というべき井伏鱒二に2ページ、中島敦に4ページが割かれているのはそのためで、「クローズアップ」という欄が設けられ、「山椒魚」や「山月記」の紹介に、それぞれ1ページが割かれていた。
 それ以外の作家でも、たとえば永井荷風や佐藤春夫がわずか5、6行とは、さすがに少なすぎると思った。しかもこれは森田草平(漱石門下で「煤煙」の作者)の半分の分量である。授業の補助教材という制限があるとはいえ、記述の濃淡がありすぎるのではないだろうか。これでは学生が、文学史について誤った観念を抱きかねない。
 戦後文学に目を移すと、大岡昇平と安部公房がそれぞれ2ページだが、これも「野火」と「赤い繭」が「クローズアップ」で紹介されている。驚いたのは村上春樹に2ページが割かれ、しかもデビュー作の『風の歌を聴け』から最近の『騎士団長殺し』にいたるまで、16の主要作品が紹介されていたことである。三島由紀夫や大江健三郎も1ページだから、戦後の作家の中では断トツの待遇である。(大岡昇平と安部公房は「クローズアップ」を除けば1ページ)。
 そんなわけで久々に、村上春樹を読み直したくなった。選んだのは『騎士団長殺し』だったが、読んでみて感じたのは、意外にもこれが「一昔前の小説」だという印象だった。2017年の発表なので、古い作品どころかごく最近の小説である。内容的にも、特殊な時代相を描いたものではない。世間から隔絶された山の上のアトリエと、そこから続く異世界の空間という、いわば抽象的な舞台を用いながら、超時代的なテーマを扱っている。
 にもかかわらずそれを「古い」と感じたのは、こうした問題設定そのものが、今の日本にはそぐわないからである。令和に入って、日本の社会システムは瓦解の速度を速めている。もはや個々人が自分を見つめ、生きることの意味を考えるという、安定した時代ではなくなってしまった。たぶんあと十年も経てば、平成日本の面影は跡形もなくなっているだろう。

 『騎士団長殺し』を「一昔前の小説」と感じたのはそのためである。良くも悪くも、これは「古き良き時代」の遺産なのだ。思うに昭和十年代に、大正期の小説を読み返した人は、これと似た印象をもったのではないだろうか。『騎士団長殺し』には、昭和の終わりから平成にかけての日本人の自意識が、はっきりと息づいている。

ロレンツォ・レオンブルーノ「キリスト降誕」

 前回に続けて、美術館ネタの記事をもう一つ。
 上野では国立西洋美術館にもよく立ち寄る。ここの常設展は、東博と違ってほとんど入れ替えがないから、予期せぬ出会いのようなものはほとんどないが、その代わりいつ来てもお目当ての作品にたどり着けるというメリットがある。そんな作品の一つが、ロレンツォ・レオンブルーノの「キリスト降誕」である。
 美術館入り口付近の混雑を抜けて常設展コーナーへ入ると、あたりの空気は一変し、深い森に入ったような森閑としたものに包まれる。チケットを切ってもらい、そのまま二階へ上がってゆくと、古い宗教画の並ぶコーナーがある。「キリスト降誕」はそこにかけてある。
 僕はこの絵が好きで、誇張なしに西洋美術館を訪れる目的の一つだったのだが、ある時期からさっぱり見かけなくなった。はじめは、よその展覧会に出しているのかと思っていたが、何度訪れても戻っていない。HPで確かめても見つからなかったので(今から思えば単なる検索ミス)、てっきり売られてしまったのかと思い、がっかりしていた。ところが今年の初めに、思いがけぬ再会を果たしたのである。
 15世紀末に生まれ、16世紀の初頭に活躍したレオンブルーノの生涯は、時期的にラファエロのそれとほぼ重なる。「キリスト降誕」は派手な作品ではないが、盛期ルネサンスらしい気品と深さを備えている。オペラや交響曲の大作というよりは室内楽の佳品、ドラマチックな宗教画というよりは童話の挿絵のような愛すべき小品である。西洋美術館を訪れる方は、ぜひご覧になってください。