断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

入試シーズンに思うこと

 ちょっと前に「東洋経済」の高校国語(古文と漢文)についての記事を読み、それについて少し書いてみようと思っていた。 折しも入試シーズンで、関連したいくつかの記事を読むうちに、俄然、大学受験についてブログ記事に書いてみたくなった。
 僕は以前、受験産業でアルバイトをしていたことがある。また受験生として、大学入試を受けた経験もある。今は受験産業にも高等学校にも関与していない全くの部外者だけれど、この機会に大学受験について思ってきたことを、ちょっとだけ書いてみようと思う。
 古文や漢文は不要だという意見があるらしい。勉強の負担が重い割に、社会に出てほとんど役立たないからである。だが同じことは他の科目についても言える。例えば日本史や世界史である。必修科目でないという点で、古文や漢文とは若干異なるが、しかしそれにしても不必要な暗記事項の多い科目ではある。
 むろん歴史を学べば、社会人としての基礎的な素養を身につけられる。これは大きな利点である。だがそのような素養ないし教養は、大学入試で要求される知識とはあまりにも乖離している。必要最低限の教養ならば、中学校の教科書レベルで十分だろう。
 歴史科目があんなに多くの知識を要求するのは、受験で必要だからである。受験生にとってばかりではない。受験生を選別する大学側にとっても必要である。 基礎知識だけで問題を作れば、点数に差がつかず、受験者を「落とすこと」ができなくなってしまう。
 だがテストがそもそも何のためにあるかといえば、学生に勉強させるためである。学校の定期試験もそうだけれど、学生はテストがなければ勉強なんてしない。大学入試だって同じである。入試がなければ学生は勉強せず、キャンパスは知識のない学生であふれてしまう。そうなれば大学の授業は成立しない。入試とは本来、そのためにあるものである。しかし学力さえあればどこの大学もフリーパスということになれば、一部のブランド大学だけに学生が押し寄せてしまうだろう。
 要するに大学入試には、もともと相容れないはずの二つの目的が介在している。一つは基礎的な学力を身につけさせるためであり、もう一つは入学者を限定するためである。後者は「必要悪」に過ぎない。しかし受験勉強の過度な負担は主に後者による。馬鹿馬鹿しい話だけれど、だからといって選別を止めるわけにはいかない。
 大学入試ではないが資格試験などでも、いわゆるひっかけ問題というのがある。これも「点差をつける」ことが目的である。一昔前の難解な英文読解なども、点差をつけるのが目的であった。今の英語入試では、短時間に大量の問題を解かせることで点差をつけようとしている。現代文の選択問題では、誰が見ても正解と分かるような選択肢は書かれない。そんなものはすぐに正解だとばれてしまうからである。だから正解の選択肢でも、微妙な瑕瑾が含まれていたりする。たとえば記述問題ならば多少減点されるかもしれないような文が、「正解」として用意されていたりするのである。
 何年か前に高校の国語(選択科目)が文学国語と論理国語という二つに分けられたことが大いに議論を呼んだ。誰しもすぐに気づくように、両者には価値の上下がつけられている。今の世の中で「論理的」であることは、疑いもなく一個の価値である。しかし文学国語とは「非論理的な日本語テクスト」であり、その限りでは価値の否定形なのである。むろん論理国語も「非文学的な日本語テクスト」なわけだが、今は「文学」はほとんど尊重されていないから、「非文学的」は価値の否定形とはいえない。
 しかしこのような文学の価値下落が生じたのは、これまでの入試現代文のあり方にも一因があると思う。入試現代文では「点差をつける」ために、あえて書き方に癖があったり文意がとりづらかったりする文章が選ばれることがある。そうした文章は「非論理的」な印象を与えずにはおかない。だから入試現代文で苦労した人たちは、批評とか文学とかいうものにあまりいい思い出を持っていないことが多いし、そうした人たちが、長じて難解な文学作品にチャレンジするとは考えにくい。またそのような人たちが、何かの巡り合わせで文科省に入り、かつて「非論理的」な文章を読まされた苦い経験から、国語教育の改革を行おうとした……などと考えてしまうのは、僕の邪推だろうか。
 むろん文学の価値下落には、もっと多くの複合的な原因がある。その一つとして挙げたいのは、「テクストの意味は読み手の自由な解釈によって生み出されるものだ」とか「テクストの意味は読者の数だけある」などといった文学観である。こうした考えは、批評家や文学研究者にとどまらず、すでに広く人口に膾炙しているけれど、これが文学というものについてどれほど偏見や悪い先入観を与えてきたか、よくよく考えてみる必要があると思う。