断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

文学

入試シーズンに思うこと(2)

前回の記事で「文学テクストの意味は読み手の自由な解釈によって生み出されるものだ」とか「テクストの意味は読者の数だけある」などといった文学観が、文学についての偏見や悪しき先入観を生んだと書いた。このことについてもう少し書いてみたい気がするけ…

比喩とリアリティー

文学における比喩は、あるものと別のものとの思いもかけぬ共通点を示すことで、対象の新しい側面を前景化してみせる。とりわけ詩の比喩は、異質なイメージどうしをぶつけて常凡の言語使用に亀裂を入れ、表現の新しい領域を切り拓いたりする。しかしここで採…

室生犀星の「白い日」

あっという間に一月が終わり、二月になった。今日は立春である。最近は家に閉じこもって作業していることが多かったが、ここ三日ほど、時間を作って自転車に乗っている。今日は山の方へ出かけてきた。日差しがいつのまにかよほど強くなっており、山野は日の…

高村光太郎の「人の首」

あっという間に八月が終わろうとしている。今年はお盆の前後に長雨(というか豪雨)の時期があって、やっとそれが終わったかと思うと、夏も残り少なになっていた。あまつさえ新型コロナの感染爆発があり、あまり出歩けないまま秋が来てしまった。 久々に記事…

旅行記の愉しみ

猫の話を続けると言っておきながら、忙しさにかまけて先延ばしになっていた。ようやく書き続けようと思った折も折、先週久々に熱海の足湯につかったのを機に、また別の話を書きたくなってしまった。たびたび脱線して申し訳ないのだけれど、また一つ寄り道と…

リルケ三篇

今回はリルケの詩から、この季節にふさわしいものを三篇ほど引用したい。ただし横着させていただいて富士川英郎氏の訳(新潮文庫『リルケ詩集』所収)から。 いつひとりの人間が いつひとりの人間が 今朝ほど 目覚めたことがあったろう 花ばかりか 小川ばか…

作者と「精神」

前回の記事で池大雅について書いたが、そのことに関連して少し補足的に書いてみたい。 芥川龍之介は最晩年の漱石を「才気煥発する老人」と評している。世間の人々は漱石を「枯れた文人」だったように回顧しているが、そんなのはウソだ、あの人は死ぬまで青年…

中勘助と羽鳥

静岡市郊外に羽鳥という町がある。静岡駅からバスで20分ほどの距離で、静岡のベッドタウン的存在だが、藁科川沿いの小さな盆地に開けていて、風光明媚な土地である。 実は私自身、以前にちょっとだけ住んだことがあるのだが、引っ越し当日、川のほとりで眺め…

歌舞伎「黒塚」

昨日は東京藝大の授業日だった。二つ受け持っている授業のうち、片方はテストで今学期の最終日。もう片方はまだ来週が残っている。 授業のあと銀座の新橋演舞場で歌舞伎を観てきた。夜の部で三つ演目があったが、一つ目の「義賢最期」は時間的に間に合わなか…

私の好きな小説8(立原道造「長崎ノート」)

「私の好きな小説」としたが、この表題は二重の意味で不正確である。 第一にこの「ノート」は「小説」ではない。詩人立原道造が、自己の新しい境地を求めて長崎へ旅した折に記した、日記形式の覚書である。 第二にこれは、「好きな」というよりは「好きだっ…

私の好きな小説7(国木田独歩「忘れえぬ人々」)その3

「忘れえぬ人々」で描かれているのも、これと同じ種類の詩趣である。「その時油然として僕の心に浮かんでくるのはすなわちこれらの人々である。そうでない、これらの人々を見た時の周囲の光景のうちに立つこれらの人々である。」 ところで俳諧的な詩意識は、…

私の好きな小説7(国木田独歩「忘れえぬ人々」)その2

「武蔵野」で独歩はこう記している。 (前略)市街ともつかず宿駅ともつかず、一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈しおる場所を描写することが、すこぶる自分の詩興を喚び起こすも妙ではないか。なぜかような場処が我らの感を惹くだろうか自分…

私の好きな小説7(国木田独歩「忘れえぬ人々」)その1

「忘れえぬ人々」の舞台は溝口である。今は東急田園都市線と南武線の交差する繁華な土地だが、当時は草深い場所だったらしく、小説の冒頭で、冬の夕暮れの陰鬱な茅屋根風景が描かれている。 その地の亀屋という旅宿でたまたま同宿した二人の青年、無名の小説…

批評と解釈

東浩紀氏がどこかでこんなことを書いていた。 1980年代に隆盛を極めたいわゆるポストモダン思想は、今日、批評のスタイルとしてはすでに過去のものとなっている。したがってポストモダン思想に対する批判は、過去の(たとえば浅田彰氏や中沢新一氏の)幻影に…

私の好きな小説6(林芙美子「晩菊」)

林芙美子の晩年の名作。主人公きんは、かつて美貌をうたわれた芸者上がりで、五十をすぎても外見はまるで三十代のように若い。彼女は数年前に田部という書生と関係をもったが、その田部が再会のためにきんを訪れる。じつは田部の目的は彼女の金なのだが、そ…

私の好きな小説5(太宰治「ヴィヨンの妻」)

言わずと知れた太宰治の名作で、こんなところで私がとり上げるまでもない有名な作品であるが、この小説の末尾近くにある「中野のお店の土間で、夫が、酒のはいったコップをテーブルの上に置いて、ひとりで新聞を読んでいました。コップに午前の陽の光が当っ…

私の好きな小説4(川崎長太郎「鳳仙花」)

川崎長太郎のいわゆる「抹香町もの」は、小田原抹香町の私娼街を舞台に、作者の分身川上竹七と娼婦たちの交渉を描いたもので、「鳳仙花」はその代表作である。 海辺の物置小屋に浮浪者同然の生活を送る老作家竹七と、「東京本所生れの、いわずと知れた下積者…

私の好きな小説3(坂口安吾「私は海をだきしめていたい」)

安吾の「私小説」は、独特の分析的な文体で書かれている。「私は海をだきしめたい」もそうした「分析的私小説」の一つである。 分析は物語の時間をせき止め、出来事の自然な継起を中断するから、ときに不自然で息苦しい印象を与える。 だが、「私は海をだき…

私の好きな小説2(デイヴィッド・ガーネット「狐になった奥様」)

妻が狐に変身してしまった男の話。これは色々な意味でカフカの「変身」と対照的な小説である。 一方は虫に変身した男の疎外と絶望の物語、他方は妻に動物に変身されてしまった男の疎外と愛の物語。 一方は人間性の零度を描いた物語、他方は人間性の限界を超…

私の好きな小説1(北杜夫「こども」)

医者から不妊症を言い渡された男が、他人の精子を使った人工授精を決意する。妻は晴れて妊娠するが、出産直後、あっけなく死んでしまう。残された男は、自分の子でないその子供を、わが手で育てることを余儀なくされる。 子供は成長するにつれて邪悪な本性を…

芥川龍之介と批評

少し前のことだが、作家の保坂和志氏がこんなことを書いていた。「小説家であることの一番の収穫は小説家であることだ。小説を書いているとつくづく自分は小説を書くのが向いていると思う。」(「小説の贅沢さ」、朝日新聞三月二十四日夕刊) 戯曲を書くとい…