断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

歌舞伎「黒塚」

 昨日は東京藝大の授業日だった。二つ受け持っている授業のうち、片方はテストで今学期の最終日。もう片方はまだ来週が残っている。
 授業のあと銀座の新橋演舞場で歌舞伎を観てきた。夜の部で三つ演目があったが、一つ目の「義賢最期」は時間的に間に合わなかったので、「錣引」と「黒塚」の二つを見ることになった。
 「錣引」は源平期の逸話を描いた作品で、歌舞伎らしい華やかな立ち回りが面白かったが、何といっても素晴らしかったのは「黒塚」のほうである。これは能の「黒塚」を歌舞伎舞踊として脚色したもので、昭和期になって作られた作品である。
 舞台は奥州安達ケ原。諸国行脚の僧(祐慶)とその一行が、野にわび住まいをする老女(岩手)に一夜の宿りを請う。彼女は哀れな身の上を語り、わが身の救いのなさを嘆くが、祐慶は仏による救いの道を説く。老女は喜び、僧たちをもてなすために薪を取りにいく。そのさい彼女は、奥の閨を決して覗いてはならぬと釘をさしてゆく。しかし祐慶たちが勤行している間に、強力が好奇心に負けて覗いてしまう。するとそこにあったのは人の屍の山。一行は老女が人を喰う鬼であったことに気づく。そうとも知らぬ彼女は、月明かりの美しい野原で、心が救われた喜びの舞を踊るが、そこへ逃げて来た強力とばったり出会う。老女は強力の様子から、自分の閨が見られてしまったことに気づき、鬼女の姿をあらわす。背信行為への怒りも露わに、祐慶たちを喰い殺そうと激しく立ち回るが、ついに数珠を手にした僧たちに念じ伏せられてしまう。
 およそこんな筋立てである。上にも書いたようにこれは能作品を脚色したものだが、原作にある普遍性の美を良い意味で通俗化しており、抒情性とドラマ性、様式美、心理の描写などが組み合わさって、名作の名にたがわぬ素晴らしい作品であった。