断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

中勘助と羽鳥

 静岡市郊外に羽鳥という町がある。静岡駅からバスで20分ほどの距離で、静岡のベッドタウン的存在だが、藁科川沿いの小さな盆地に開けていて、風光明媚な土地である。
 実は私自身、以前にちょっとだけ住んだことがあるのだが、引っ越し当日、川のほとりで眺めた壮麗な夕焼けが、忘れがたい思い出として残っている。この川は方角的に、西から東へまっすぐ伸びている上に、上流つまり西の方角の山のつくりが、左右相称に美しく仕上がっており、夕空が、あたかも翼を広げた大きな鳥のように、見る者の頭上へ覆いかぶさってくるのである。「壮麗な夕焼け」と書いたが、むしろ「雄大」という言葉がぴったりくるような眺めである。
 作家の中勘助が、戦争中にこの地に疎開していて、町のはずれに往時の住まいが「中勘助文学記念館」として残っている。私も一度だけ訪れたことがあるが、三畳一間だかそれくらいの驚くべき小さな部屋だったのを記憶している。奥さんと二人で住んでいたというが、仲の悪い夫婦だったらとても住めたものではないだろう。
 冗談はさておき、中勘助はこの羽鳥滞在中の出来事を、日記形式の長い作品に残している。その名も「羽鳥」という作品である。私も読んでみたのだが、作中、この地の夕焼けの見事さを述べた一節があって、さもありなんと思わず相槌を打ちたくなった。今、手元にこの本がないので、記憶に頼るしかないのだが、あまりに美しい夕焼けに感動した彼は、「ヨーロッパの夕焼けだ!」と子供のように興奮して奥さんに話しかけたという。(「ヨーロッパの夕焼け」というのは、ヨーロッパの絵に描かれたような夕焼け、という意味である。彼自身に渡欧の経験はない。)
 昨日、その羽鳥の町に久しぶりで立ち寄る機会があった。残念ながら夕焼けは雲がかかってイマイチだったが、町のほとりの藁科川は変らぬ美しさで、透き通った水を、西から東へと迅速に流していた。写真はそのときに撮ったものである。