断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

黒俣の春

 久能尾(きゅうのお)という終点でバスから降り、すぐそばの橋の上でサンドイッチをかじった。四月の第一週。空がきれいに晴れ渡っている。橋の下には軽快な沢音が響き、川岸の桜からしきりに花吹雪が降っている。
 ここは藁科川の支流・黒俣川が、国道362号線から離れる地点である。362号線はここから急峻な山岳路となり、大井川の上流、千頭の町へ抜ける。一方の黒俣川沿いには、県道が最奥の集落へ延びている。その県道を歩き始めた。
 茶畑の石垣が静かに日差しを浴びている。黒い板張りの民家が、庭先に色とりどりの布団を干している。澄みわたった絵画のような風景だ。やがて集落は途切れ、沢音ばかりが耳につく暗い谷筋へ入った。
 しばらく行くと、また小さな集落が現れた。桜がしきりに降っている。歩くうちに谷が大きく広がりだした。日が高くなり、次第に汗ばむような陽気になった。鶯がぎこちない囀りを試している。
 南アルプスの南端にあたる静岡には、安倍川やその支流の藁科川に沿って、無数の谷が開けている。ここ黒俣の谷は、とりわけ春の季節が楽しい場所だ。狭い沢筋の道を抜けた向こうに、小別天地のような山里が広がっているのと、大きく湾曲した黒俣川が、安倍川本流とは逆に南へ伸び、明るい南空を見上げながら歩くからである。この日も稜線に、すでに初夏を思わせる暑い雲がかかっていた。山の面に薄い靄のような暑気がにじんでいる。
 まばゆい日差しを孕んで光源のようになった雲を見上げながら、上流へ向かって歩いて行った。春の奥へ、ひたすら奥へ分け入っていく気分だった。風景そのものが巨大な陶酔のようであった。山の彼方に、何か完全無欠な春の原型とでも呼ぶべきものがあって、そこへ向かって一歩、また一歩と近づいていくような気持ちだった。どこか遠くで飛行機が鳴っている。それがこのはるかな感じをいっそう強めた。
 ときどき日陰に腰を下ろして休んだ。見上げると暗い常緑樹に、萌黄や浅緑の新芽と満開の桜がまじっている。やがて道は川を離れ、急なヘアピンカーブとなった。県道を離れて小道を登り、有名な銀杏のある高台に立った。樹齢五百年。県の天然記念物にもなっている大銀杏である。
 高台からは谷が一望のもとに見渡せた。大銀杏はわずかに芽吹いた枝々を屈託なく広げている。樹下には桃やコデマリレンギョウなどが静かに咲き誇っている。
 谷とは反対の上流方面は、急な山肌が屏風のように迫っていた。若葉の芽が細い。山の上はまだ冬枯れである。いかつい褐色の稜線に、桜が数本、あでやかなピンク色をほころばせていた。(この記事は2022年10月に改稿しました。)