断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

旅行記の愉しみ

 猫の話を続けると言っておきながら、忙しさにかまけて先延ばしになっていた。ようやく書き続けようと思った折も折、先週久々に熱海の足湯につかったのを機に、また別の話を書きたくなってしまった。たびたび脱線して申し訳ないのだけれど、また一つ寄り道ということで。

 草津ではこの前一度泊った事のある一井旅館というへ入った。(中略)宿に入ると直ぐ、宿の前に在る時間湯から例の侘しい笛の音が鳴り出した。それに続いて聞えて来る湯揉みの音、湯揉みの唄。(中略)
 時間湯の温度はほぼ沸騰点に近いものであるそうだ。そのために入浴に先立って約三十分間揉みに揉んで湯を柔らげる。柔らげ終ったと見れば、各浴場ごとに一人ずつついている隊長がそれと見て号令を下す。汗みどろになった浴客は漸く板を置いて、やがて暫くの間各自柄杓をとって頭に湯を注ぐ、百杯もかぶった頃、隊長の号令で初めて湯の中へ全身を浸すのである。湯槽には幾つかの列に厚板が並べてあり、人はとりどりにその板にしがみ附きながら隊長の立つ方向に面して息を殺して浸るのである。三十秒が経つ。隊長が一種気合をかける心持で或る言葉を発する。衆みなこれに応じて「オオウ」と答える。答えるというより捻るのである。三十秒ごとにこれを繰返し、かっきり三分間にして号令のもとに一斉に湯から出るのである。その三分間の間は、僅かに口にその返事を称うるほか、手足一つ動かす事を禁じてある。動かせばその波動から熱湯が近所の人の皮膚を刺すがためであるという。
 この時間湯に入ること二三日にして腋の下や股のあたりの皮膚が爛れて来る。軈ては歩行も、ひどくなると大小便の自由すら利かぬに到る。それに耐えて入浴を続くること約三週間で次第にその爛れが乾き始め、ほぼ二週間で全治する。その後の身心の快さは、殆んど口にする事の出来ぬほどのものであるそうだ。そう型通りにゆくわけのものではあるまいが、効能の強いのは事実であろう。(中略)これを繰返すこと凡そ五十日間、斯うした苦行が容易な覚悟で出来るものでない。


 若山牧水の「みなかみ紀行」からの引用である。私も草津には行ったことがあるが、むろん現在の草津温泉でこんな壮絶な荒行のようなものが行われているわけでない。そもそも湯治という行為自体が、現在ではほとんど廃れてしまっている。
 私の知る限り、今なお本格的な湯治場としての機能を果たしているのは、秋田の玉川温泉である。強酸性の湯(ここの湯はpHが1.2もある)と自然の岩盤浴が有名だが、がんに効能があるとのことで各地から患者が集まってくる。私も昔訪れたことがあるけれど、たまたま痛めていた喉が、しばらく湯に浸かっているうちに軽くなってきたのを記憶している。もっともこの程度の効能ならば他の温泉でも期待できるから、この温泉の「真髄」に触れたとはとても言えないのだろうが。
 牧水は旅先のあちこちで温泉に入っており、当時の温泉場の様子が紀行文に残されている。私のような温泉好きには、自分の行ったことのある温泉場を思い出しながら、往時の姿を重ねるようにして想像できるのがたまらなく楽しい。

 信州は養蚕の国である。春蚕夏蚕秋蚕と飼いあげるとその骨休めにこの山の上の温泉に登って来る。多い時は四軒の宿屋、と云っても大きいのは二軒だけだが、この中へ八百人から千人の客を泊めるのだそうだ。大きいと云っても知れたもので、勿論一人若くは一組で一室を取るなどという事はなく所謂追い込みの制度で出来るだけの数を一つの部屋の中へ詰め込もうとするのである。たたみ一畳ひと一人の割が贅沢となる場合もあるそうだ。彼等の入浴期間は先ず一週間、永くて二週間である。それだけ入って行けば一年中無病息災で働き得るという信念で年々登って来るらしい。それは九月の中頃から十月の初旬までで、それがすぎて稲の刈り入れとなると、めっきり彼等の数は減ってしまう。(中略)
 彼等の多くは最も休息を要する爺さん婆さんたちであるが、若者も相当に来ていた。そしてそうした人里離れた場所であるだけその若者たちの被解放感は他の温泉場に於けるより一層甚だしく、入湯にというより唯だ騒ぎに来たという方が適当なほどよく騒いだ。騒ぐと云っても料理屋があるではなく(二軒の蕎麦屋がさし当りその代理を勤めるものであるが)宿屋の酒だとて里で飲むよりずっと割が高くなっているのでさまでは飲まず、ただもう終日湯槽から湯槽を裸体のまま廻り歩いて、出来るだけの声を出して唄を唄うのである。唄と云っても唯だ二種類に限られている。曰く木曾節、曰く伊奈節、共に信州自慢の俗謡であるのだ。また其処に来る信州人という中にも伊那谷、木曾谷の者が過半を占めている様で、従ってこの二つの唄が繁昌するのである。朝は先ず二時三時からその声が起る、そして夜は十一時十二時にまで及ぶ。(若山牧水白骨温泉」より)