断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

吾輩は虎である

 脱線ついでに別の話題をもう一つ。一週間ほど前にネットで見たニュースだが、南米アルゼンチンで二匹の子猫が拾われたという。そのうち一匹は弱っていて生き残れなかったが、もう一匹は無事育ち、二か月たって獣医の健康診断へ連れて行った。ところが獣医は「何の動物か分からない、普通のネコではない」と言ったという。自然保護区へ連絡して確認してもらったところ、「ジャガランディ」というピューマに近い動物だと判明したそうである。
 この記事を読んで私は、たちまち『吾輩は猫である』のこんな一節を憶い出した。

 ある日の午後、吾輩は例のごとく椽側へ出て午睡をして虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉を持って来いと云うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。迷亭が来たから、迷亭に雁が食いたい、雁鍋へ行って誂らえて来いと云うと、蕪の香の物と、塩煎餅といっしょに召し上がりますと雁の味が致しますと例のごとく茶羅ッ鉾を云うから、大きな口をあいて、うーと唸って嚇してやったら、迷亭は蒼くなって山下の雁鍋は廃業致しましたがいかが取り計いましょうかと云った。それなら牛肉で勘弁するから早く西川へ行ってロースを一斤取って来い、早くせんと貴様から食い殺すぞと云ったら、迷亭は尻を端折って馳け出した。吾輩は急にからだが大きくなったので、椽側一杯に寝そべって、迷亭の帰るのを待ち受けていると、たちまち家中に響く大きな声がしてせっかくの牛も食わぬ間に夢がさめて吾に帰った。


 『吾輩は猫である』は辛辣な人間風刺、社会風刺が際立っているが、個人的にはこういう邪気のないバカバカしい箇所が好きである。
 さてその漱石が『猫』を執筆した家が、岐阜県犬山市明治村に保存されている。漱石の書斎も、「虎」が横たわっていた縁側もちゃんと残っていて、家の中のいたるところに「吾輩」の像が置かれている。


虎とは似ても似つかぬ可愛い子猫の像。思わず撫でてみたくなる。


こちらはお昼寝中。たしか縁側の近くだったと記憶している。





漱石の書斎もそれっぽく復元されている。