断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

静岡の風景

 静岡の山は南アルプスの南端に位置しており、安倍川や大井川などはそこから流れ出ている。
 安倍川の源流部には梅ヶ島温泉郷があり、そこまではバスで行けるが、途中の谷沿いの風景は、思いのほか深く険しい。大井川はアプローチが長く、本当に急峻な風景がはじまるのは接阻峡温泉を過ぎてからだが、眺めはさらに雄大で、最奥の畑薙第一ダムまで行けば、三千メートル級の山々も間近である。
 だが私は、むしろのどかな山あいの山村風景が好きだ。南国らしい陽光、明るい石積みの茶畑、黒い板張りの山家、これらが静岡の山村風景(県全体ではなく、静岡市近郊の興津川から大井川界隈の風景)の基本コンポーネントである。この組み合わせがもたらす効果は、ちょっと日本離れしたもので、同じ静岡県でも遠州天竜川沿いの風景とはよほど趣が異なっている。
 違いは山の中を車で走ってみるとよく分かる。天竜川沿いに北へ進み、南信方面へ向かっていくと、狭い谷に軒を寄せ合うような集落がいくつも見えてくる。繊細で陰影に満ちた、いかにも日本的な山村風景である。逆に天竜川流域から東を目指し、気田川の先の峠を越えて大井川の谷に入ると、ふいに山上に明るい茶畑の景色がひらける。山肌をきりひらいて作った広い茶畑に、集落の建物がのびやかに散らばる眺めは、それまでとははっきりと異質のもので、ここから風景は一変し、「静岡的なもの」がはじまるのである。
 安倍川、大井川、興津川藁科川などの谷筋をたどってゆくと、いたるところでそんな風景に出会う。しかし南アルプスの南端を形成するこれらの谷々は、長く深く、折り重なる山塊の向こうへまた向こうへと、際限なくどこまでも続いている。深い山間に入っていくと、いつしか集落は絶え、狭い谷底を沢の水が走るだけとなるが、しばらく行くと、またふいに谷が開け、まばゆい茶畑の風景が広がる。それもまた尽きて、いよいよ谷も狭まり、険しい山肌への取っ付きがはじまるかと思いきや、再び谷が開け、陽光降りそそぐ山里の景色が出迎える。
 この繰り返しの効果は、ほとんど音楽的といってよいものだ。私たちは谷から谷へ、集落から集落へと、一種の純粋持続の中を、心地よい愉悦に満たされて歩いていくのである。(この記事は2022年10月に改稿しました。)