断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

静岡の春

 現在私は静岡から20キロほど離れたところに住んでいるが、今の季節、四月のはじめから半ばにかけてのこの時期は、静岡で一番美しい季節だと思う。桜を残したまますでに若葉が芽吹いているが、それが実に多彩なのである。
 先日、住んでいる町からちょっと山間に入った場所へ、半日がかりで散歩に行った。バスで山の上まで行き(といってもたかだか標高五百メートルくらいだが)そこから谷の集落をめぐりながらゆっくり降りてきたのである。 
 川沿いには満開の桜が咲き誇り、山肌は若葉の多彩に埋もれていた。白っぽい霞のような緑もあれば、ほとんど褐色に近い赤い芽吹きもある。もちろん当たり前の鮮やかな新緑もある。それらが、暗い杉の緑や桜の淡いピンク色といりまじり、見事な色彩の饗宴であった。
 震災以来どこか地に足の着かぬ日々を送っていた私は、久々に心が解放されるのを感じた。と同時に何ともいえない感傷にひたされた。今住む町は東海地震震源域にある。近くには危ないといわれる原発もある。来年、これと同じ景色を見られる保障はどこにもないのだ。惜春という言葉がこれほどふさわしかった春は、短い人生を振りかえってもちょっと見当たらないような気がする。