断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

日本の再生

 震災の後、これを機に新しい日本を作ろうという意見をよく見かける。地震による負債をむしろスプリングボードにして、日本を再生させようというのである。
V字復興だとか、戦後の高度成長の再現だとか、色々と勇ましいことが言われている。あるいはもう少し控え目に、今回日本は立ち直って発展するか、あるいは全く駄目になるかどちらかだろうと予測する人もいる。
 が、「災害を機に新たに発展を」というのは、「普通ならもはや発展の見込みなし」と言っているのと同じではないだろうか。私にはこれは、バブル崩壊以降日本の社会を覆いつくしている無力感、閉塞感、沈滞感の裏返しの表現(もちろん無意識のそれ)でもあるように思われる。今、「死と再生の物語」を語らずにいられないほど、それほど日本社会は疲弊し衰弱しているのではないだろうか。これは希望と同時に絶望の表現ではあるまいか。