断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

ボンクラーズと米長邦雄(1)

 ちょっと前になるが、将棋の米長邦雄永世棋聖が、コンピューター将棋ソフト「ボンクラーズ」と戦って負けた。すでにチェスでは、世界チャンピオンがコンピューターに敗れている。今回の対戦は、現役のプロ棋士との本格的対戦を前にした「前哨戦」ともいうべきものだが(米長邦雄は八年前に現役を退いた引退棋士)、将棋でもコンピューターが人間を追い越すのは時間の問題だろうと言われている。
 将棋のようなゲームでは、局面ごとに可能な手の数が有限だから、理論的にはすべての手をしらみつぶしに検討すれば最善手が見つかるわけで、そうした作業は、もともとコンピューターが最も得意とするものなのだが、事はそれほど簡単ではない。たとえば一つの局面で物理的に可能な手(つまりルール上許される手)はおよそ三十手くらいだが、この場合、三手先のすべての可能的な局面は、30の三乗で2万7千個である。これくらいならコンピューターはたちどころに読める。ところがこれが、五手先になると2430万通り、十手先なら590兆通り、一局の勝負が終わるのが百手だとしたらさらにこの十乗だから、ほとんど天文学的な数字になるのである。
 とはいえ、いかに天文学的な数でも、可能な局面の数が有限であることに変わりはない。その意味で将棋というゲームは、決定論の内部で戦われているのである。つまり先手必勝か後手必勝の手順がどこかに存在しているということなのだが、それはコンピューターでも計算できないような膨大な手順の中に紛れているから、まだ誰も見つけることができないだけなのである。