断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

梅見のはなし(菊川市の黒田家代官屋敷)

 菊川にある黒田家代官屋敷へ梅見に行ってきた。菊川の町は、茶で有名な牧之原台地の西側に位置する。黒田家代官屋敷はJRの菊川駅御前崎の中間あたりにある。
 JR菊川駅に降りると、前日までの雨もあがって、まぶしい日差しが降っていた。そこからバスで二十分。平田本町というバス停で下りると、代官屋敷はすぐそこだった。
 驚いたことに建物の周囲には、立派なお堀が張りめぐらされていた。もともと梅見が目的だったが、この家の歴史にも興味を感じた。
 話は少し前後するが、代官屋敷の敷地内には資料館があって、梅見のあとにそこを見学した。武具や屏風絵、焼き物などにまじって、部屋の一角に黒田家の歴史を書いた説明版があった。それによると黒田家は、元々は足利氏の一族だったが、越前を経て遠州平川(静岡県菊川市)に移り、今川氏に仕えるようになった。その後徳川家康に臣従したが、武田勝頼との戦いに敗れ、平川に戻って帰農したという。江戸時代になると本多氏のもとで代官として勤めるようになり、今に至るのである。
 足利氏といえば清和源氏の血筋を引く名門で、清和源氏はまた天皇家から下った家であるから、この地に天皇家の遠い末裔が住まっているわけである。屋敷には全長二十一メートルもある大きな長屋門もあり、のどかな田園風景には場違いな立派さだったが、家の由緒を知って納得した。
 長屋門をくぐると大きな母屋がある。それを通り過ぎて建物の裏手に回ると、そこが梅園になっている。梅園自体は最近になって作られたらしいが、紅白梅に加えて、緑顎や八重の白梅なども植えられており、後の二つはちょうど見ごろだった。
 平日で訪問客も少なく、何よりも観光梅園にありがちな音楽スピーカーがないのがよかった。ひっそりとした園地を何度も行き来しながら、存分に梅の匂いをかいだ。
 今年は梅の花が遅く、近所でも二月に入ってようやく花が咲き始めた。ちょうどそのころ、山のほうへ散歩に行く機会があった。暗い沢沿いをたどってゆくと、ちょっと開けた場所があり、そこに数本の梅が、今しも開こうとする白いつぼみを、枝もたわわにつけていた。もう少し遅ければ花を見られたのにと思いつつ、一本一本、木を検分していくと、端のほうに二輪、半開きの白い花があった。僕は目頭が熱くなるのを感じた。去年、東日本大震災が起こったのは、ちょうど梅の季節が終わった時分だった。それからあの原発事故が起こった。下手をしたら来年は、梅は見られないかもしれない。そのとき僕は本気でそう思ったのである。以来僕の中では、一年後に梅の花を見ることが、何となく目標みたいになっていたのであった。(この記事は2022年10月に改稿しました。)