断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

同窓会雑記

 先日、高校の同窓会があって横浜のほうへ出かけてきた。それに先立って昔の校舎で担任の先生方が「授業」(もちろん余興のそれ)を行い、同期の教諭に案内されて校舎や校庭、体育館などを回った。近々校舎が改築されるという話で、今回は六年間学んだ場所の見納めになるはずだった。
 教室と体育館をのぞいた後、校庭に出て歩いていった。すでに夏の盛りは過ぎていたが、山の上に造成した校地のこととて、あたりは蝉時雨に埋め尽くされていた。夏休み中で生徒の姿はまばらだったが、軟式テニス部が対外試合をしていて、そこだけが賑わっていた。私はフェンスの後ろに立って試合を眺めた。中学時代、私は軟式テニスをやっていたのである。つまり彼らは「直系」の後輩であるわけだが、私は彼らを知らないし、彼らも私のことを知らない。かつて何百回となく使ったテニスコートたが、今、私の目の前にあるのは、古い記憶の場所ではなく、すでに私とは切り離されたもの、別の人たちの生に所属するものであった。
 その後、ふたたび校舎へ戻り、色々な教室を見て回った。昔はホールだったのがパソコンルームに変わっていたりした。そうかと思うと机もそのままに昔ながらの様子で残っている部屋もあった。
 かつて私はこれらの教室の中で一日の大半を過ごしていた。いや私はこの教室の中というよりは、当時の私自身の「生」の中にいたというべきだ。十代の毎日というのは、何か濃厚な主観性の内部に、いわばのっぴきならぬ生のただ中に、どっぷりと浸っているようなものだから。私はその生とともに昔の教室も失った。今あるこの教室は、いわば私の生の抜け殻であった。やがて始まろうとしている改築工事は、そのような抜け殻をも消し去ろうとしていたのであった。
 その後学校をあとにし、みんなで駅へ向かった。二次会のパーティー会場がある横浜へ行くためである。にぎやかなパーティーのさなかに、何度かあの校舎のことを思い出した。ほんの数時間前にあそこを歩いたのが、まるで遠い夢のようであった。
 今の校舎を、私は数時間前まで知らなかった。私の中にあったのは、十代を過ごしたあの校舎、思い出で埋め尽くされたあの校舎だけである。その意味で古い校舎は、記憶の中のものであると同時に「リアルな」存在でもあった。それは私にとって唯一の「現実」だったのだ。
 だが今、実際の校舎を見たことで、記憶の中のあの校舎は、いわばその「現実性」を否認されてしまった。もはやそれは完全に過去のもの、私自身の内部においてさえ現実的ではないものとなってしまった。
 では私に残された唯一の「現実」とは、今しがた見たあの校舎ということになるだろうか。
 が、それにしても今見た校舎の印象は、十代のあの濃厚な記憶に比べるとあまりにも希薄だった。それは吹けば飛ぶほどに軽いものだ。私はそれを実際に自分の目で見て確かめたにもかかわらず、この「現実」の中に、古い校舎を押しのけるほどの強いリアリティーを認めることができなかった。ほんの数時間前に見たものがまるで夢のように思えたのはそのためであろう。
 私は今現在の校舎を見ることで、記憶の中の校舎のリアリティーを失った。その一方で現実の校舎のほうも、記憶の中の校舎に対抗できるほどの確固たるリアリティーを持つにはいたらなかった。要するに私は「現実」によって記憶のリアリティーを失い、「記憶」によってまた現実のリアリティーを得ることもできずにいるのだった。
 リアリティーを失わない記憶とは、風景や出来事ではなく、人間のそれなのであろう。長く会わない間に変わってしまったように見える友人や恩師たちも、ちょっと話せばすぐに違和感がなくなる。「昔のあの人」は「今のこの人」によって更新され、たちまちにして前者は後者に合致する。
 一人の人間の存在論的なリアリティーは、顔つきや体型などの外的表徴ではなく、人柄とか人格とか呼ばれるものの中に宿っている。そして人格とは(人間の自己同一性についての哲学者や心理学者たちのさまざまな否定的見解にもかかわらず)年月を経てもなお同一的なものとして保持される。だからこそ「記憶の中にある彼」は「いま目の前にいる彼」と合致する。人との再会とはいわば記憶のたえざる蘇生というべきだ。ちょうど『雨月物語』の中の、遠く離れた友人との約束を果たすために魂となって飛んだ男のように、それはいく度も時空を超えてよみがえってくるのだ。