断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

宇津ノ谷、そして朝比奈の旅

 自転車で転倒して怪我をした。まだその傷が癒えない十月半ばの週末、丸子から宇津ノ谷、岡部、朝比奈へかけて自転車で走ってきた。
 国道一号線を西に下って丸子を過ぎると、宇津ノ谷峠の山並みがぐんぐん迫ってきた。真っ青に晴れ渡った空を背景に、堂々たる緑の山肌がくっきりと浮かび上がっている。宇津ノ谷峠のトンネルの手前で国道から離れ、旧道に入って宇津ノ谷の集落に入った。
 行楽日和の週末だというのに一人も観光客がいない。途中、二人連れの男を見かけたが、スーツ姿で商用か何からしい。そのほかには地元の人間がちらほら見えるばかりである。家々の瓦屋根が秋の日の底に、澄みきった黒い磁器のように沈んでいる。
 ゆっくりと自転車を押して集落を抜け、突き当りの急坂を登りきって古いトンネルの入り口にたどり着いた。ここは明治のはじめに旧東海道の交通の便を良くするために作られたもので、一度火事で崩落した後にあらためて掘られたものである。トンネル内部は往時の情緒を再現すべく角灯がかかっている。二百メートルほどの長さだが、ほの明かりに照らされた誰もいない空間は、トンネルというよりは鍾乳洞のようである。
 トンネルを出ると以前にも増して日差しがまばゆい。再び自転車にまたがって明るい舗装路を下り、国道一号に合流した。
 しばらく走って岡部の町に入った。ここも旧東海道の宿場町で、大旅籠柏屋という江戸時代からの古い建物がある。自転車を止めて旅籠に入り、しばし時間を過ごしてから再び自転車で東海道を下り始めた。
 すぐに岡部町の中心部に出た。ここから朝比奈川を遡る道を取り、朝比奈の集落を目指した。しばらくすると眺望が開け、広々とした山の辺の景色が目の前に広がった。広い田園風景の中に家々が点在し、その向こうになだらかな山並みが、秋の盛りの午後の日差しを浴びて白くけぶっている。山の上には小さな綿雲が、疲れたようなうすら濁りを湛えたままじっと佇んでいる。
 この道は何年か前にバイクで走っているはずだが、ほとんど記憶に残っていない。まるで初めて見る景色のようである。私はどこか遠い外国へでも来たような気分になった。最近はいつもこうなのである。はじめての土地や風景を目にすると、見知らぬ遠い国へやってきたような錯覚に陥る。たぶんこれは、どこへ行き着くとも知れない私自身の人生行路が、「思へば遠く来たもんだ」(中原中也)という詠嘆を催す種類のものだからであろう。あるいはそもそも人生というものが、「遠いところへ来てしまった」と感じさせるようにできているのかもしれない。それとも「夢かうつつか寝てか覚めてか」という日々の生活意識が、容易に非日常の感覚へ入り込んでしまうということなのだろうか。
 やがて道は広い谷の中に入った。緩い上り坂である。私は力をこめてペダルをこいだ。ひと漕ぎひと漕ぎの足に与える負荷が、不思議な切なさで体にしみ渡った。午後三時過ぎ。つるべ落としの夕まぐれの気配が、すでに抗いがたく日差しの中ににじんでいる。