断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

「ガチ」はダメです

 私は広島カープのファンである。最近はろくすっぽ試合も見ていなかったが、二年前にCS(クライマックスシリーズ)に出場して以来、再び応援しはじめている。そんなわけでファン歴は長いけれどにわかファンと大差はない。
 ファンになったきっかけは、子供時分にテレビで日本シリーズを見たことである。カッコいい選手とか印象的なシーンに惹かれたわけではない。ただ何となく好感をもったのである。(ちなみに私自身は広島出身でないし、身近にカープファンがいたわけでもない。父親は昔から中日ドラゴンズのファンである。)
 いまは当時とは選手も監督も全く入れ替わっている。球場も新しくなった。応援仲間がいるわけでもない。贔屓の選手もいない。ではいったい私が何を応援しているかというと、「球団」というはなはだ抽象的なものなのである。もちろん事情は他のプロ野球ファンにも多かれ少なかれ当てはまるはずで、たとえば巨人ファンは、坂本や長野、阿部といった選手のファンである以上に、巨人という球団のファンであろう。(もしそうでなければ、特定の選手が引退した後も巨人ファンであり続けるのは難しい。)彼らもやはり私と同じように、「球団」という実体のない何かを応援しているわけである。
 面白いのは人間が、個人のプレーヤーを応援しているときよりも、チームや団体といった抽象的なものを応援しているときのほうが熱狂的になるということであろう。たとえばサッカーのサポーターが暴力沙汰を起こすのは日常茶飯事だが、個人のゴルファーやテニスプレーヤーでそうした事件が起きるのは珍しい。
 具体的なもの(個人のプレーヤー)よりも抽象的なもの(サッカーなどのチーム)のほうが熱狂の対象になるというのは、個人の選手というものが、良くも悪くも生身の人間だということと関係がある。そこでの応援対象はあくまで「赤の他人」であり、応援する側とされる側との間には一定の隔たりが存在する。選手と自分とを無媒介に同一化することはできないのである。
 ところがチームというものは、それ自体は実体のない関係的なものであるだけに、かえって同一化が容易なのである。たとえば前田健太投手は広島カープの選手だが、それは色々な経緯でたまたまそうなっているというだけであって、カープの選手という身分は彼の本質的属性ではない。ところで私が広島カープのファンであるということも、同じように私の本質とは何の関係もない出来事である。つまり前田投手がカープの選手であることと、私がカープのファンであることの間には、どちらも「関係」に過ぎないという点で、「程度」の差しか存在しない。そして前田投手の試合を応援することは、前田投手個人への応援というよりは、球団という関係的なものへの肩入れにほかならず、しかも私自身「ファン」という形でそのような関係的なものへと関与しているわけだから、応援行為は純然たる「他者」へ向けられたものではなく、私自身にも跳ね返ってくる何かである。要するにそれは対象的というよりはナルシスティックな行為である。カープへの応援とは私の自己愛の一種なのだ。
 チームに対する応援が個人に対するそれよりも過激になるのはそのためである。熱狂も暴力も、そこでは心理学のいわゆる自己愛憤怒というものに近く、その意味でそれは政治的宗教的熱狂とも類似している。すなわちどちらも「野蛮」に陥りがちである。
 二年ほど前のことだが、仕事帰りに東京ドームで巨人広島のクライマックスシリーズを観戦したことがあった。切符売り場に行くと、すでに内外野席とも売り切れで、立見席しかないという。プロ野球に立見席があったとは初耳で、長時間の立ち見はどうかと躊躇したが、どのみち最後まで観ていくつもりはなかったので、チケットを購入して中へ入った。
 場所はネット裏の上方で、観戦には悪くない。むしろ格好の観戦ポジションというべきで、下手な内野席よりはよほど良くプレーが見える。ピッチャーの肘の使い方まで手に取るように見えて楽しかった。
 さて試合も佳境に入った頃、隣で観戦していたグループの一人が、巡回していた球場の警備員に絡みだした。傍若無人に罵りながら、大声で警備員に食ってかかっている。仲間の人間たちも止めようとせず、遠巻きに見物している。警備員は必至でなだめようとしていたが、ふとした拍子に小さな苦笑をもらした。すると絡んでいた男が大声で笑いだした。取り巻いていた仲間たちもどっと笑い崩れた。何のことはない。男は「身を張った演技」をしていたのである。
 私はこれは応援の仕方として正しいと思う。熱狂は容易に暴力に転化する。「ガチ」の応援は危険なのである。しかし高みの見物的な取り澄ました応援も、それはそれでつまらない。応援は舞台の上の俳優のように劇(試合)に没入すべきなのだ。すなわちフィクションとしての熱狂というものである。
 さて今年のカープは黒田投手の復帰ということもあって、開幕前からマスコミに騒がれていた。私もそれに乗せられて毎日のように試合結果をチェックしていた。ところが目下6連敗と負けがこんでいる。しかも延長戦の果てのサヨナラ負けというダメージの大きい負け方を繰り返している。実に悔しい。ガチでムカつくとはこのことである……。