断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

8月5日(成田からミラノへ)

 昼前に成田空港に到着。チェックインをすませ、搭乗口に入ろうとすると、「ペットボトルは持ち込み禁止です」と言われた。捨てるかこの場で飲むかしてくれという。買ったばかりなので捨てるのはもったいない。仕方ないので通路脇に座って飲み始めると、係員がすぐそばまでやって来て「監視」しだした。そうやって飲み終わるまでずっと私を見張っていた。テロ対策でピリピリしているのだろうが、さすがにイヤな気分である。
 機内で着席し、いよいよ出発。アリタリア航空のミラノ行である。乗客の比率はイタリア人が日本人よりやや多いくらいだろうか。シートベルトを締めていよいよ離陸というところで、突然、出発の延期がアナウンスされた。管制官からの指示で一時間ほど待たねばならないという。このタイミングで一時間待ちはしんどいが、仕方がない。
 どこの土地でも一番生き生きと活動しているのは、その土地の人間である。これに対して「よそ者」はどことなく弱々しく元気がない。スポーツの「ホーム」と「アウェイ」の関係みたいなものであろう。
 飛行機の中は「土地」ではない。それは一種の抽象的空間である。その意味では日本人もイタリア人も同じく「よそ者」である。しかし私の見たところ、離陸して間もないころは日本人が元気であり、目的地へ近づくにつれてイタリア人が元気になるようだった。これは単なる心理的効果なのだろうか。それとも飛行機の機内のような空間へも「土地」の目に見えない力が浸透しているのだろうか。
 ミラノ到着。ゲートを出てミラノ中央駅を目指そうとしたが、どういうルートがいいのか、調べていなかったのに気付いた。ガイドブックの類も持っていない。どこで尋ねようかと物色していると、たまたま日本人の三人組が通りかかった。訊くと鉄道で中央駅へ向かうところだという。バスという選択肢もあるらしいが、夜もかなり更けていたので、私も彼らと一緒に鉄道で行くことにした。
 一時間ほどでミラノ中央駅に到着。21歳のときはじめてイタリアに入ったのもこの駅だった。駅員に「reservation」という英語が通じず困惑したのを覚えている。駅前で彼らと別れてホテルへ。歩いて五分とかからない至近距離にあった。荷物を置き、シャワーを浴びてベッドに入り、すぐに熟睡。ヨーロッパから日本へ帰ってきたときは、多かれ少なかれ時差ボケに悩まされるが、逆に日本からヨーロッパへいくときはほとんどそれがない。私の体内時計はヨーロッパ仕様なのだろうか。