断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

秋の瀬戸川

 瀬戸川は大井川のやや東、山一つ隔てたところを流れている。上流には宇(うと)嶺(うげ)の滝という名瀑があるが、ここは林道が通行止めになることが多い。流域面積のせいか水はさほど多くなく、中流を過ぎるとしばしば涸れ川となる。下流では朝比奈川を併せ、焼津の海へ注ぎ込む。
 荒々しい安倍川や雄大な大井川の流れとは異なり、この川はあくまでも優美である。流れも穏やかなら取り巻く山々もなだらかだ。すぐ向うに海が見えそうな、丘のような山稜がどこまでも続く。ちょっと前になるけれど十月の半ば過ぎ、自転車で川沿いの道を登ってきた。
 夏をドイツで過ごし、帰国後に東京の南秋川を散策したことがある。すでに秋たけなわだったが、空気にはかすかに「夏」の気配が残っていた。「夏」は大気のそこかしこに見えない羽虫のように漂い、ちょっと手を伸ばせば捕まえられそうなのに、捉えようとするとたちまち逃げ去ってしまう、そんな種類の「夏」であった。いま僕が走る瀬戸川には、「夏」の面影はどこにもない。ただ夥しい秋の日差しが氾濫し、道や草や木々の上にこぼれ出ている。
 数キロ上ったところに山羊を飼っている家がある。かなりの老齢で、来るたびに生きているかどうか心配になる。大丈夫、まだまだ元気そうだった。
 そこからしばらく行ったところで瀬戸川の本流を離れ、支流の滝沢川へ入った。ここの谷は入り口は狭いが、しばらく行くと盆地状の地形になり、小別天地の趣を呈する。道の両側にはコスモスが咲き乱れ、刈り入れ後のひつじ田がかすかに香っている。
 島田への道が滝沢川と分かれる橋へ来た。橋の上に自転車を止め、ペットボトルのお茶を飲んだ。周囲の山々は日差しの中に身じろぎもしない。その静謐のあまりの重さに、どうかすると風景そのものが、さもあらぬ音を立てて崩れ落ちる錯覚がした。
 滝沢川本流の道を択び、坂道を漕げるだけ漕いで、力尽きたところで下りて来た。帰りがけにまた山羊をのぞいたら、道のすぐそばまで来て草を食べていた。近づいていくと顔を上げ、じっと僕の方を見つめた。(この記事は2022年10月に改稿しました。)