断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

ヒッチハイクをした話

 ここ数年、前期の授業が終わって落ち着いたころに信州への小旅行をしている。去年は白馬へ行った。今年は妙高高原である。妙高高原は正確には信州ではないが、隣接する野尻湖や黒姫と地勢的に連続しているので、とりあえず「信州旅行」と呼んでもいいだろう。
 静岡から信州へは実際の距離以上に遠い。鉄道でのルートは三つあって、名古屋経由で松本を目指すルート、富士から身延線を使って甲府を経由して行くルート、それから豊橋から飯田線を使って伊那谷へ入るルートである。第三のルートは飯田線がやたらと時間を食うので、実質的には第一と第二の選択肢しかない。今回は行きに甲府経由のルートを使い、帰りは名古屋経由で戻ってきた。
 長旅は肉体的にも心理的にもこたえる。その負担を減らすには、なるたけ車内で眠るのがいい。しかし眠るには眠くなければならず、眠くなるには睡眠不足が一番である。だから前の晩は夜更かしをし、当日は早起きをする。それでも出発日の朝は、たいていバッチリ目が覚める。まるで遠足に行く小学生のようだが、電車に乗って何時間か経ったころ、ようやく眠くなる。この日も眠気が兆したのは身延線に入ってからだった。
 たっぷり眠って睡眠不足を解消し、目を覚ましてうつらうつらしていると甲府駅に着いた。甲府から中央線に乗り換え、小淵沢から小海線に乗り込む。小諸と長野を経由して妙高高原を目指すわけだが、小海線だけで二時間、小諸から妙高へも二時間かかる。要するに初日のほとんどは移動時間だが、そんな中、唯一訪れた観光地は八ヶ岳山麓にある松原湖であった。
 松原湖へは小海線松原湖駅からバスが出ている。所要時間は10分足らず。あっという間に着いて湖畔に降り立った。山間のこぢんまりとした湖である。一周するのに30分程度と聞いていたが、歩き始めてすぐに回ってしまったという感じだった。帰りのバスまでまだ時間があったので、見晴らしの良い場所に坐ってぼんやりと景色を眺めた。
 昼下がりの陽光が湖面を打っている。しかし高原だけあって日差しは軽やかである。透明な反射光が一面に散乱し、まるで湖全体が私の身体を包みこんでいるかのようであった。ボートでも浮かべて湖面で眠ったらさぞ気持ちいいだろうなどと思いつつ時計を見たら、いつの間にかバスの時間が迫っている。重い腰を上げてバス停へ向かった。
 途中で観光センターへ寄ってペットボトルの水を補給した。バス停に着いたのが14時25分。バスの発車時刻は28分である。
 予定の到着時刻を過ぎた。バスは来ない。すでに時計は14時30分を過ぎている。ふと気がかりになってバスの時刻表を確かめてみた。14時22分発。なんと時刻を間違えていたのだ。次のバスは二時間後の16時26分。大変な失着である。
 タクシーをつかまえようと思ったが、こんな山奥にタクシーは通っていない。仮にあったとしても観光客が乗り捨てていったもので、タイミングよくそんなものがくるはずはない。とっさにヒッチハイクという手を思いついた。最近はご無沙汰しているが、学生時代に結構やったことがある。列車の時刻が迫っているけれど、今ならまだ間に合うかもしれない。
 道に飛び出し、山のほうから下りてきた軽トラを呼び止めた。事情を話したら快く応じてくれた。列車の発車時刻は14時42分。間に合うか心配だったが、運転手のおじさんは猛スピードで山を下ってゆく。何とか間に合いそうである。
 駅への入り口がある交差点で下ろしてもらい、お礼を言った。「じゃあお気をつけて!」と挨拶したら「お互いにな!」と笑いながら返してくれた。ドアを閉めて見送っていたら、Uターンして山のほうへ戻ってゆく。てっきり用事があって駅方面へ下っていると思っていたが、実は私一人のために駅まで走ってくれたのであった。
 JRの駅に着いたのが14時40分。滑り込みセーフである。見知らぬ他人の好意にほのぼのとした気分になった旅の出だしであった。ちなみにバスの正確な時刻は、湖発14時22分、駅着14時28分。私は到着時刻を出発時刻と取り違えていたのであった。


JR小海線松原湖