断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

傘と歳時記

 朝、家を出ようとして天気予報を見、午後から雨が降ると分かった時、たいていは傘を持って出るけれど、そうでないこともある。荷物が多いときなど、少々の雨なら我慢するつもりで、傘なしに家を出る。もしも本降りになったら、どこかでビニール傘を買って済ます。
 こんなことを続けていたら、家中傘だらけになってしまう気もするが、そこは世の中うまくできたもので、朝は降っているけれど午後から晴れるという逆のケースもある。安物のビニール傘だと思って油断していると、電車の網棚などに置き忘れるという僥倖に恵まれる。
 さて先日、久々に家の本を整理していたら、角川文庫の「俳句歳時記」がどっさり出てきた。もともと五分冊(春夏秋冬および新年)なのだが、一つの季節ごとに数冊買いこんである。どういうことかというと、ブックオフなどに入った時、ふと俳句歳時記が目に入って「そういえば最近、句作をさぼっているなあ」などと反省し、一念発起して帰りの電車で読むつもりで買うのである。傘と同じでどんどん買うけれど、傘と違ってどこかへ置き忘れることはない。それでもそう頻繁には買わないから、無尽蔵にたまることはない。
 以前にも書いたけれど、私は「りいの」という句誌の会員になっている。そこには毎月投句の機会があるのだが、昨年の十月から珍しくずっと継続していた。それが六月に途切れてしまった。すると七月もさぼってしまい、そのままずるずると行きそうになった。これではマズイと思って八月はちゃんと作って送った。それが下の五句である。

明日とも知れぬ命や猫の恋
臆せずに初音吐いたり匂鳥
一村は狭霧の中やほととぎす
夕されば麦の香深し谷戸の奥
この世とは別(べち)の白さや雲の峰


 季節がバラバラなのは、三か月にわたって断続的に作ったからである。しかしほっとしたのもつかの間、九月分の締め切りが目前に迫っている。多分もう間に合わないだろうが、来月へ回すつもりでいると、それもサボってしまう可能性が高いので、頑張って一句でも二句でも作ろうと思っている。