断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

俳句

遠山の雪を集めて大河口

元旦は大井川の河口を散歩しました。自宅を出るときは穏やかな天気でしたが、海まで来てみると風が凄まじく、手に持っていたスマホが吹き飛ばされるのではないかと思ったほどでした。本年もよろしくお願いいたします。大井川の河口。砂州が伸びて小河口とな…

ちちろ虫の句

月が改まって十一月になった。立冬も目の前に迫っている。すでに二ヶ月近く前になるが、曼珠沙華の花が盛りだった頃、一年前にこれを題材に句を作ったのを思い出し、俳句からずいぶんご無沙汰しているのを思った。芭蕉の文庫本を引っ張り出してきて読もうと…

立冬の句

すでに退会してしまった「りいの」という俳句の会は、元々は「アカンサス句会」という名称であった。当時はまだ句誌も存在せず、檜山先生を中心に少人数の仲間が集まって、気軽に俳句を楽しんでいるといった風であった。 俳句には吟行というものがある。みん…

カモシカ、彼岸花、そして崖崩れ

前回の記事でカモシカに遭遇したことを書いたが、その後、立て続けにカモシカに出会った。全部で5匹である。カモシカというと、険しい山の崖を自由自在に飛び回ってるというイメージがあるが、私が見たのは、茂みの中だったり、林道に佇んでいたりと、いろん…

三匹の猫

自転車で走っていたら、ちょっと離れた道の上に猫が座っているのが見えた。速度を落として用心しながら近づいて行くと、何のことはない、道の上に置き捨てた白い紙袋であった。 またある晩、仕事後にビールを飲み、酔い覚ましに外へ散歩に出た。建物の敷地か…

傘と歳時記

朝、家を出ようとして天気予報を見、午後から雨が降ると分かった時、たいていは傘を持って出るけれど、そうでないこともある。荷物が多いときなど、少々の雨なら我慢するつもりで、傘なしに家を出る。もしも本降りになったら、どこかでビニール傘を買って済…

平成の終焉

ゴールデンウィークに入り、平成の終わりまで残り二日足らずとなった。休み前の授業で「もうすぐ平成が終わるね」と学生たちに振ってみたら、「はぁー」という溜息が返ってきた。半年ほど時間が遡るのだが、去年の夏、とある花火大会で隣に座っていた二人連…

句作の続き(2019年3月)

ぼんやりしている内に「りいの」の投句期日が近づき、ぎりぎり間に合うかどうかになってしまった。秋から欠かさずに投句を続けており、今回出せば六ヶ月連続。これだけ続けたのは多分初めてである。何とか間に合って今日提出した。二月の分もまとめてアップ…

こがらしや

句作の続きである。 茶花して陽の揺るぎなき山路かな 大裾に紅連綿と雪の富士 こがらしや尿(しと)捨て急ぐ暮れの猫 こがらしや白刃を交わす暮れの灘 春待ちて艶いやまさる猫の肌 昨日の記事でもちょっと触れたように、先週の水曜日は芸大の冬学期の最終週…

師走のひつじ田

十二月に突入し、年内の授業も残り二週間。先週の木曜くらいまでは半袖でも大丈夫な日和が続いていたが、週末は一気に気温が下がった。冬本番といった感じである。 気がついたら句誌「りいの」への投句の期日が迫っている。最近は二か月連続でちゃんと投句し…

歳時記の美学

俳句の季語は、一部は伝来の和歌や連歌などに由来するけれど、俳諧連歌の成立とともに新たに多くの季語が生まれた。新しい季語は、俳諧の創成期に限らず近代以降も多く生み出されている。 蚊柱や棗(なつめ)の花の散るあたり 江戸中期の俳人、加藤暁台(き…

句作の続き

後期の授業が始まってちょうど一ヶ月経った。順調に授業をこなしている。 以前にもどこかで書いたが、私は「りいの俳句会」の会員になっている。これは学部生時代の恩師であり、職場(東京芸大)の上司でもある檜山哲彦先生が主催されているもので、毎月一回…

久方ぶりの句作

今週から後期の授業が始まった。その直前となる週初めの月曜日、大井川の川根温泉へ出かけてきた。三連休の最終日で多少混雑していたが、ストレスを感じるほどではない。まあこんなものかといった感じである。いずれにせよここの湯は、いつ行っても混んでい…

久々の投句

「りいの」という句誌への久々の投稿。全国大会への投稿を除けばほぼ1年ぶりの投句である。我ながらぎこちない感じだが、まあ仕方がない。 木枯しや焼き芋過ぎぬ訥々と 早梅や貧しき日差し集めをり 木枯しや山の音凄き川向い ふんわりと鳥影過ぎぬ白障子 木…

俳句近作(2016年2月)

久々の記事投稿になってしまった。この間、冬学期の期末試験も終わり、何度かまとまった記事を書こうともしたのだが、研究にかまけている内に、ブログのほうはサボってしまった。リハビリを兼ねて、俳句の近作からアップすることにしよう。 冬ざれの山陰照ら…

昨夜の椿事と俳句の新作

昨夜の四時くらいのことである。不気味な地鳴りのような音に目を覚ました。 夢うつつのまま、はじめは自衛隊の戦闘機の音かと思ったが、鳴り続いて一向にやむ気配がない。ぼんやりと目を開けると、カーテン越しに窓の外が光っているのが見えた。雷かと思った…

自然美とその「発見」-俳句近作(2015年6月・その1)

すっかり夏らしくなってきた。朝、家を出て公園のそばの遊歩道をたどると、いたるところ夏の気配が充満している。休日には自転車で川沿いを走るのが習慣となった。晴れた日など、橋の欄干にもたれかかって遠い上流を眺めると、すっかり緑の濃くなった山々の…

俳句近作(2015年5月・その2)

海浜の靴あと白し弥生尽 しづしづと若草を踏む猫手かな 病み上がり息を切らして青田端 若菜積む黒木づくしの山家かな 前回掲載分に比べると、大分ぎこちなさが減ったように思えるのだが、どうだろうか。

俳句近作(2015年5月・その1)

前回、俳句を作ってから一年が経ってしまった。その間、一句も作っていない。ただの一句もである。俳句の会自体は継続しているが、こんな状態で続けてもダメである。もはやただの「不良会員」となりつつある。 以前にも少し書いたことだが、一番の問題はモチ…

俳句つれづれ

以前の記事でも書いたが、私は何年か前から「りいの俳句会」というものに在籍している。毎月一回投句する決まりだが、それ以外にも月一度、上野で句会が開催されている。私は静岡にいることが多いので、句会にはなかなか出られない。だから月に一度の投句が…

俳句近作

今回は久々に自作の俳句から、比較的出来のよいものを択んで記事にしたい。 片陰の濃きばかり見ゆ場末道 「片陰」とは夏の季語で、日差しの高さゆえに短く落ちる陰をいう。人通りのない場末道の、真夏の昼下がりの虚無感。 ひつじ田に陽をなみなみと小春かな…

私の俳句修行

私は「りいの俳句会」という会に所属している。これは大学時代の恩師であり、職場の上司でもある檜山哲彦先生が主催されているもので、会員になると毎月、句誌に投稿することができる。五句を上限に投句し、その中から比較的出来の良いものが選ばれるのであ…

HAIKU(俳句)-ドイツ語版ウィキペディアより

以下に掲げるのは、ドイツ語版ウィキペディアの"Haiku"という項目から訳出したものである。 さまざまな読みへの開かれ ふつう俳句は平仮名で書かれる。すなわち意味規定をともなわない純粋な音声文字によって記述されるのである。たとえば次のような有名な句…