断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

立冬の句

 すでに退会してしまった「りいの」という俳句の会は、元々は「アカンサス句会」という名称であった。当時はまだ句誌も存在せず、檜山先生を中心に少人数の仲間が集まって、気軽に俳句を楽しんでいるといった風であった。
 俳句には吟行というものがある。みんなで野山や公園を歩き、句の題材を探すのである。その後戻って句会を開き、ノルマを課して一定数の俳句を作る。一般的な句会がどのような形で行われているかはよく知らないが、アカンサス句会では、はじめに各自が句を作り、匿名で提出する。集めたものは別の人間の手で清書し、それをもとに人気投票をする。自分が良いと思ったものを一定数(例えば五句なら五句)選ぶのである。むろん自分で書いたものは選んではいけない。あくまで他人の書いたものを選句する。その後集計結果を発表し、最後に誰が書いた句かを明かす。
 要するに匿名で提出された句をもとに皆で人気投票を行い、ランキングを決めるわけである。そこでは句を作る能力だけでなく選ぶ能力、つまり各自の審美眼も試される。とはいえ句会も吟行も肩肘張らない気楽な集まりであった。
 吟行は小石川植物園でやることが多かった。地下鉄の改札口で集合し、みんなで歩いて植物園へ向かう。園内に入ってからは自由行動で、気の向くままに園内をうろつく。当時私は本駒込に住んでいて、小石川植物園は目と鼻の先だったから、自分でもよく行く場所だった。だから吟行といってもふだんの散歩の延長みたいなものであった。のみならず私は歩きながら句を作るということがなかなかできない。いや歩きながらはできるのだが、自然を楽しみながら俳句を考えることがしづらいのである。自然の中にいると妙にリラックスしてしまって、心が思考とは別のモードになってしまう。だから当時、小石川植物園で句をひねったという記憶がない。メモさえほとんどしていなかったような気がする。俳句を作ったのは吟行の後、句会においてである。
 吟行後は東京芸大のキャンパスへ行き、構内の「不忍荘」という建物へ行く。ここは宿泊もできる施設で、大きな和室に机を広げて座り込み、みんなで俳句を書いていく。むろん事前に酒とおつまみを買い出しし、ちびりちびりやりながらである。
 実際にやってみるとわかることだが、こうした形で俳句を書くと、自分一人でやるよりずっとアイデアが浮かびやすい。めいめいは黙って書くのだが、同じ場所にいて同じ作業をしているというだけで、 無言の刺激関係のようなものが生じる。そのさい大切なのは適度な緊張というものであって、リラックスしすぎてはダメだし、逆にピリピリしすぎても句は思い浮かばない。
 そのころ書いた句は無数にあるのだが、書きっぱなし作りっぱなしで、今は手元に一句も残っていない。たしか会の後に檜山先生がまとめてプリントしていたと思うのだが、それもなくしてしまった。わずかに三句だけ憶えているが、次に挙げるのはその一つである。

 冬立ちて丸薬甘き朝かな

 ここ数年、日本の気候はどこか調子が狂ったようだった。私が住んでいる静岡でも十一月まで、場合によっては十二月に入ってからも夏めいた日があったりした。さすがに年が明ける頃には冬本番となるが、それもあまり長くは続かない。 春の訪れも夏の兆しを孕んだそれで、 三月というのに川で泳げるのではないかというような日もあったりする。
 ところが今年は季節が一歩一歩順調に進行している。九月に入った途端に秋らしい風が吹いたし、その後の秋の深まり方も、いわば地に足のついた歩み方であって、目に見える景色も大気の手触りも、日を経るごとにしっとりと秋の度合いを加えていくという感じであった。井上靖が郷里伊豆での秋を「細かい粒子が流れていくような」深まり方だと表現しているが、まさしくそれと同じである。私は久々に日本の秋を見た気がした。十二月に入ってまで夏が残っているというのは、それはそれでなかなか楽しいものだけれど、やはり秋という季節はこうでなければならない。
 今日は立冬である。すでに野山は冬支度を始めている。午後からは雨が降るらしく、風が温かみを帯びて潤っている。