断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

ちちろ虫の句

 月が改まって十一月になった。立冬も目の前に迫っている。すでに二ヶ月近く前になるが、曼珠沙華の花が盛りだった頃、一年前にこれを題材に句を作ったのを思い出し、俳句からずいぶんご無沙汰しているのを思った。芭蕉の文庫本を引っ張り出してきて読もうと思ったが、ずるずると先送りしている間に曼珠沙華も散ってしまった。
 それからかなり経った半月ほど前、月があんまり綺麗なので夜中に川沿いの散歩道を歩いてたら、草むらからコオロギの声が聞こえてきた。それが実に静かな噛みしめるような声で、まるで降り注ぐ月光の襞に分け入り、磨き上げるような鳴き方だった。句にしたいと思ったけれど、ずいぶん長いこと俳句からは遠ざかっているから、なかなかうまくまとまらない。ようやく出来上がったのが次の句である。

  一心に月の音を研ぐちちろかな

 「ちちろ」とはちちろ虫、つまりコオロギのことである。
 俳句の会に入っていた頃は毎月、句誌が送られてきていた。何ヶ月も俳句を作らなくても、ともかくも月に一度、「あんまりサボっちゃダメだぞ」と無言の促しを受けていたわけだが、そんな重しもなくなってしまい、サボりにサボってしまったという感じである。
 たぶん今ならば Zoomなどを使って句会をやっているだろうから、遠方にいる僕でも気楽に参加できるのだろうが、何年か前に参加した「不忍荘」での句会を思い出すと、やはり気楽には参加できないという気がする。ことにZoomとなれば、 余計にプレッシャーがかかるだろうから、結局同じように遠ざかってしまうだろう。
 むろんこれは句会が悪いのではなくて、気楽に参加しようなどと虫のいいことを考えてる僕の方が問題なのである。でも、似たような気持ちで俳句をやってみたいと思ってる人も少なからずいるだろうから、いつの日かそういう人達で集まって、気楽な素人の俳句の会を作ってみたいと思っている。その気のある人は声をかけてください。