HAIKU(俳句)-ドイツ語版ウィキペディアより
以下に掲げるのは、ドイツ語版ウィキペディアの"Haiku"という項目から訳出したものである。
さまざまな読みへの開かれ
ふつう俳句は平仮名で書かれる。すなわち意味規定をともなわない純粋な音声文字によって記述されるのである。たとえば次のような有名な句。
日本語原文 (ローマ字による)発音表記
ひるからは hi ru ka ra ha
ちとかげもあり chi to ka ge mo a ri
くものみね ku mo no mi ne
のみならず、日本語では俳句は行分けされないことになっている。したがって上に掲げた句は、以下のように記述される。
ひるからはちとかげもありくものみね
日本語は同音異義語がきわめて多い。したがってこの句は、まったく異なる二通りの読みが可能であり、以下のように漢字表記できる。ただし通常はそれを行わず、わざと一義的な読みができないようにしてある。
読み方その1
日本語原文 ドイツ語訳
昼からは 午からは
ちと影もあり やや影が多い
雲の峰 曇った空
(ローマ字表記は省略した。)
読み方その2
日本語原文 ドイツ語訳
ヒル蚊ら蜂 蛭、蚊、蜂
とかげも蟻 蜥蜴、それから蟻と
蜘蛛蚤ね 蜘蛛と蚤もだよね?
(同じくローマ字表記は省略した。)
かかる多義性の魅力は、日本語原文でのみ表すことができる。適切な翻訳はほとんど不可能である。
言うまでもなく、「ふつう俳句は平仮名で書かれる」とか「通常はそれ(=漢字表記)を行わず、わざと一義的な読みができないようにしてある」などという記述は誤りなのだが、私が記事を引いたのは間違いをあげつらうためではなく、いわゆる「解釈における多義性」の問題について、ちょっとばかり論じてみたいと思ったからである。詳しい話は次回に回させていただくことにして、ここでは上掲の句について、(余計な講釈になってしまうが)ちょっと述べておきたい。
昼からはちと影もあり雲の峰
「雲の峰」は夏の入道雲のことで、漢詩の影響によってできた季語である。(たとえば陶淵明の「夏雲奇峰多し」など。)真夏の入道雲は、強い上昇気流に乗って成長し、気温の上がる午から午後にかけて大きく厚くなる。(それがさらに成長すると灰色の夕立雲になる。)「ちと影もあり」というのは、そのように厚くなった雲が、表面のあちこちに微妙な影を帯びはじめたさまを言うものである。
真夏の強い日差しを浴びた入道雲は、まばゆい乳白色の光を内部にいっぱいに湛えているが、ところどころ表面が翳ることで、雲全体が彫刻的な重みを加え、内部がいっそう光り輝いているように見える。「ちと影もあり」という表現が媒介するのは、そうしたイメージの鮮かさなのだが、ここで「ちと」という言葉を使っているのがミソで、これがたとえば「やや影もあり」だと、単にニュートラルな叙景表現に堕してしまう。しかし「ちと」という俗語を用いることによって、かまびすしい蝉の声や軒先の風鈴、狭い家屋に立ち込める古い畳の臭いなど、市井のさまざまな風物を読者の脳裏にありありと想起させ、蒸し暑い日本の夏の情景を表現することに成功しているのである。
さまざまな読みへの開かれ
ふつう俳句は平仮名で書かれる。すなわち意味規定をともなわない純粋な音声文字によって記述されるのである。たとえば次のような有名な句。
日本語原文 (ローマ字による)発音表記
ひるからは hi ru ka ra ha
ちとかげもあり chi to ka ge mo a ri
くものみね ku mo no mi ne
のみならず、日本語では俳句は行分けされないことになっている。したがって上に掲げた句は、以下のように記述される。
ひるからはちとかげもありくものみね
日本語は同音異義語がきわめて多い。したがってこの句は、まったく異なる二通りの読みが可能であり、以下のように漢字表記できる。ただし通常はそれを行わず、わざと一義的な読みができないようにしてある。
読み方その1
日本語原文 ドイツ語訳
昼からは 午からは
ちと影もあり やや影が多い
雲の峰 曇った空
(ローマ字表記は省略した。)
読み方その2
日本語原文 ドイツ語訳
ヒル蚊ら蜂 蛭、蚊、蜂
とかげも蟻 蜥蜴、それから蟻と
蜘蛛蚤ね 蜘蛛と蚤もだよね?
(同じくローマ字表記は省略した。)
かかる多義性の魅力は、日本語原文でのみ表すことができる。適切な翻訳はほとんど不可能である。
言うまでもなく、「ふつう俳句は平仮名で書かれる」とか「通常はそれ(=漢字表記)を行わず、わざと一義的な読みができないようにしてある」などという記述は誤りなのだが、私が記事を引いたのは間違いをあげつらうためではなく、いわゆる「解釈における多義性」の問題について、ちょっとばかり論じてみたいと思ったからである。詳しい話は次回に回させていただくことにして、ここでは上掲の句について、(余計な講釈になってしまうが)ちょっと述べておきたい。
昼からはちと影もあり雲の峰
「雲の峰」は夏の入道雲のことで、漢詩の影響によってできた季語である。(たとえば陶淵明の「夏雲奇峰多し」など。)真夏の入道雲は、強い上昇気流に乗って成長し、気温の上がる午から午後にかけて大きく厚くなる。(それがさらに成長すると灰色の夕立雲になる。)「ちと影もあり」というのは、そのように厚くなった雲が、表面のあちこちに微妙な影を帯びはじめたさまを言うものである。
真夏の強い日差しを浴びた入道雲は、まばゆい乳白色の光を内部にいっぱいに湛えているが、ところどころ表面が翳ることで、雲全体が彫刻的な重みを加え、内部がいっそう光り輝いているように見える。「ちと影もあり」という表現が媒介するのは、そうしたイメージの鮮かさなのだが、ここで「ちと」という言葉を使っているのがミソで、これがたとえば「やや影もあり」だと、単にニュートラルな叙景表現に堕してしまう。しかし「ちと」という俗語を用いることによって、かまびすしい蝉の声や軒先の風鈴、狭い家屋に立ち込める古い畳の臭いなど、市井のさまざまな風物を読者の脳裏にありありと想起させ、蒸し暑い日本の夏の情景を表現することに成功しているのである。