断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

平成の終焉

 ゴールデンウィークに入り、平成の終わりまで残り二日足らずとなった。休み前の授業で「もうすぐ平成が終わるね」と学生たちに振ってみたら、「はぁー」という溜息が返ってきた。半年ほど時間が遡るのだが、去年の夏、とある花火大会で隣に座っていた二人連れの女子高生が「どうしよう、平成が終わっちゃうよ。もうおばあさんになっちゃうよ。」と話していたのを思い出し、吹き出しそうになってしまった。
 さて句作の続きである。

梅散りて影濃き庭の日差しかな
花はなほ暮れて明るき堤下
春眠の猫や座右にうず高く
雨過ぎて菜花ばかりの入日かな
進むとも見えで竿さす濠桜

 ところで「りいの」には「ゲスト」として、ヨハン・フェイエンさんというオランダの方の俳句が載せられている。(原文は英語だが、それを同人の浪江啓子さんが日本語に訳出している。)最近のもの(2019年3月号所収)から一つ引いてみよう。

Along a road
A violet facing to the sun.
Drivers give her not a glance, but a
dust.
道の塵かぶり明るき菫かな

 一読してお分かりのように、英語で書かれた「句」を日本語に訳すというのは、かなりの技術を要する作業である。ふと思ったのだが、外国語に訳された日本語の俳句を、元の句を見ずに自分の力で訳出してみるというのは、句作の技術を磨くのに良い練習になるかもしれない。