断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

忘れえぬJK

 雨で川の水が溢れて道路が冠水した。 部屋の前の道が褐色の水で渦巻き、今にも床上まで浸水しそうである。部屋の床に放り出してある本を片付けねばならない。いやその前に、自転車置き場の自転車を高い場所へ移さねばならぬ。そう思って焦っていると目が覚めた。夜中だが、外は激しい雨が降っている。 その激しい雨音が洪水の夢を誘発したのだった。
 昼前に目を覚ましたが、雨はまだ続いていた。 今日は3月21日。そろそろ春分である。そう思ってパソコンを開くと、実は春分は昨日だった。昨日は自転車で山の近くまで出かけ、ブログにアップするための写真を撮って回った。その帰りに缶ビールを買うと、店主のおばさんが「今日は暑いね」と言った。その言葉の通り暑い一日であった。
 コロナによる自粛が始まってから、思わぬ場所でウォーキングやトレッキングをしている人に出会う。この日も田んぼの脇を一人で歩いている女性を見かけた。しかしそればかりではない。
 今から3か月前、つまりちょうど冬至の頃、川が干上がったのをいいことに、河床に降りて流れの跡を歩いた。しばらく行くと、歌声が聞こえてきた。夕暮れ時でよく見えなかったが、近づいて行ってみると制服を着た女子高生である。向こうでも僕に気付いたが、 構わず大声で歌い続けていた。
 コロナでカラオケに行けなくな ってこんなところで歌っていたのだろうか。 それとも単に気晴らしでやっていたのだろうか。しかし夕暮れ時、誰もいない広い河床で、一人大声で歌を歌っている女子校生の姿は、異様というよりはさまになっていた 。国木田独歩の「忘れえぬ人々」の中へでも入れてみたい眺めだった。



昨日は春分であった



三か月前はこんなに足が長かった