会社を辞めた話
前回の記事で、会社勤めをしていた頃のことを書いた。その続きを少し書いてみようと思う。
年の瀬の慌ただしい時期だったが、人事課に行って会社を辞めたいと申し出た。入社一年目の社員に辞められるのは困ると思ったのだろう。強く引き止められた。すぐにでも実家へ戻るつもりでいたのに、いざ慰留されると迷いが出てきた。しばらく考える時間をもらい、迷いに迷った挙句、会社に残ることにした。これが大きな間違いだった。ふたたび仕事に明け暮れる日々が続くにつれ、無価値で無意味な人生を送っているという思いが募り、しまいには半ば鬱のようになってしまった。これはもう駄目だと思った。
当時の僕の心境を説明するのには、以下のような中原中也の詩を引くのが一番である。たとえば
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。
(「いのちの声」より)
とか、
さうしてこの怠惰の窗の中から
扇のかたちに食指をひろげ
青空を喫ふ 閑を嚥む
蛙さながら水に泛かんで
夜は夜とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。
(「憔悴」Ⅴより)
あるいは
しかし またかうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。
(「憔悴」Ⅵより)
などといった詩句が、僕の気持ちそのままを歌っているように思えた。
再び人事課へ出向いていき、やはり辞めたいと課長に伝えた。呆れた顔をされたけれど(当然である)、もはや会社に残るという選択肢は、自分の中にはなかった。
辞めると決めてしばらく経った頃、職場の飲み会があった。十歳ぐらい年上の先輩が近づいてきて、「君、辞めて正解だったと思うよ。」と言った。「辞めると決めた後の君は、何だか大きくなったような気がする。以前は縮こまっているように見えた。」そう励ましてくれた。
この先輩に限らず、職場には親切な人が多かった。会社とは別に、地元のサークルにも入ったけれど、そこのオーナー夫婦にも大変お世話になった。
横浜へ出発するその朝、上司のFさんが、休みの日だというのにわざわざ見送りに来てくれた。僕は感激し、深く礼を言って盛岡を後にした。