断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

魚たちがやって来た

 気がついたら、ブログの更新をだいぶサボってしまっていた。自分の中で期限なりルールなりを決めておかないと、ずるずると先延ばしになってしまう。気を取り直して一ヶ月ぶりのブログ更新。今回はお魚の話です。
 ちょっと前にスクーターバイクが水没した話を書いた。今いる部屋の近くに小さな川があって、そのそばに恰好の散歩道がある。仕事に倦んだらそこで良い空気を吸う。とても恵まれた住環境だが、越水の危険とも隣り合わせで、何年か前の台風でもギリギリの水位まで行った。その反面、渇水期には川が干上がってしまう。去年も冬にひどい時期があった。水がほとんどなくなり、逃げ遅れた鯉たちが河床で日干しになっていた。
 この川にはもう一つ、魚の敵がある。水鳥である。小さな水路が合流する地点があって、繁殖期には無数の小魚たちの棲み家となるが、やがて水鳥に見つかり、群れでやってきてあっという間に食い尽くしてしまう。だからこの川は大きな鯉しか棲んでいない。巨鯉となれば、さすがに鳥たちも手は出せないのである。
 7月か8月だったと思う。散歩中に川底を覗いてみたら、見慣れない魚が群れを成していた。川面まで下りてゆけず、土手の上から見下ろすだけだからはっきりとは分からないが、どうやらウグイのようである。体長は3センチから5センチくらい、まだほんの小魚である。下流で別の川と合流しているから、たぶんそこから遡上してきたのだろう。まずいなと思った。こんなところでウロウロしていたら、たちまち水鳥の餌食になる。万が一難を逃れても、ウグイが鯉なみに大きくなることはないから、結局いつかは食われてしまうだろう。気になって散歩のたびに川底を覗くようになった。するうちに魚たちはずいぶん大きくなった。中には10センチを超えるのもある。水鳥もちらほらやってきた。もうとっくに見つかっているはずだが、なぜかそんなに食われずにいる。大きい魚だけでなく、小さいのもちゃんと残っている。夜に散歩していると、僕の足音にびっくりして、あちこちでパシャパシャ跳ねる音がする。
 この魚たちが無事に育ち、散歩道から無数の魚影を眺められたらどんなに壮観だろうと思うのだが、今年も冬の渇水期が近づいてきた。ところどころ川筋が細くなり、瀬音は日に日に乏しくなっている。何とか救ってやりたいけれど、こればかりは人の手ではどうにもならない。