断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

街の道筋

 父が亡くなり、その片付けに実家へ戻ってきた。片付けと言っても、さしあたっては僕自身の荷物を運び出す作業である。電車で横浜の実家に近づくにつれ、気が重くなってきた。 これにはいろいろ理由があるが、一つにはこの家が、僕の十代二十代と分かちがたく結びついているからである。
 あの頃の自分は本当に迷いながら生きていた。しかもその迷いが、正当な試行錯誤(おかしな言い方であるが)というよりは、人間的未熟さに由来することがよく分かっていたので尚更である。漱石が、過去の自作を読み返すのは余りいい気分がしないものだと言っているけれど、それは人生そのものについても当てはまる。
 それでも実際に家の建物へ入り、長年親しんだ空間に身を置いてみると、懐かしさが立ちまさった。リビングルームの日当たりの良い場所に、観葉植物が並べてある。窓越しに冬の静かな日差しが差し込み、昔日と同じように緑を温めている。
 ここは昔飼っていた猫がよく日向ぼっこをしていた場所だ。どうかするとその猫が、ふいに僕の足元へ身をすり寄せてきそうな気がする。そしてその猫が今いないことが、なんだか嘘のような気がする。あの猫がいたあの日々の方が、今の現実よりもよほど真実のものであるような気がするのだ。「過去の自分」はやりきれない代物だと書いたけれど、そんな過去にも、やはりそれなりの意味はあるのだろう。
 しばらく休んでから荷物の片付けに取り掛かった。部屋の奥にしまってあった本を取り出し、要るものと要らないものの仕分け作業である。あの時分はこんな本を読んでいたのかと妙な感慨にふけりながら、ページをめくっていくと、あちこちに書き込みがある。何だか色々と勉強したような気もするし、まったく不勉強のまま今に至ったという気もする。
 片付けが一段落した後、別の用事で外へ出た。昔よく歩いた道を散歩がてら通ってみる。ここは横浜の西のはずれにある住宅地だが、藤枝などと比べても、よほど昭和の面影があちこちに残っている。古い家が多いということもあるが、もともと坂が多い街で、曲がりくねった狭い道が変わらずに残っているために、一層その印象が強くなるのだろう。
 僕という人間も、自分ではずいぶん変わったつもりでいても、他人から見れば大して代わり映えしないのだろう。そして人間の変わらない処というのは、外見や考え方や人間関係などではなくて、たとえば口癖やしぐさのように変えようとしても変えられないもの、要するに街の道筋のようなものなのだろう。