断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

犬はお友達

 新年明けましておめでとうございます。昨年は大変な一年で、今年も巷間、巨大余震の危険がささやかれていたりしますが、なんとか平穏無事な一年になってほしいものです。
 さて今年はイヌ年ではありませんが、新年の最初は「イヌ」の話題で行こうと思います。

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 よく行く近所の定食屋で犬を飼っている。はじめの内は私が店に入ると猛烈に吠えかかったものだが、ある時期を境に急になついた。今では私は、彼の「お気に入り」の一人である。なぜかはよく分からない。定食屋の主人も不思議がっていて、「好みのタイプなんですかね」なんて言って笑っている。何はともあれ、好かれるというのは(相手が人間だろうがイヌだろうが)気分がいい。それで先日、友人と飲んだ折に、この話を自慢してやったら、「お前の精神年齢が犬並みってことだろう」とやられてしまった。
 さて、犬は群居性の動物で、野生の犬は群れをなして行動する。飼い犬はどうかというと、これは自分の周囲の人間どもを(犬と同じ)群れの成員とみなし、その中に自分を位置づけるらしいのである。たとえばA、B、C三人の人間がいたら、飼い犬の頭の中では三人の間に、ボスから下っ端にいたる序列が存在する。そして犬自身も、その序列の中に自分を位置づけているというのである。たとえば三人のうちでAがトップ、Bが二番目、Cが下っ端という序列が犬の頭の中にあって、自身はAとBの中間に位置すると考えているとしたら、Aは彼にとっての主人、BとCは下僕ということになる。イヌだと思ってバカにしていると、人間様のほうが侮られていたりするわけである。
 以上は私が聞きかじったあやしげな耳学問で、真偽のほどは定かではないが、飼い犬を取り巻く人間集団が、犬の群れと同等にみなされているというのは、なかなか面白い指摘だと思う。そもそも犬の考えていることなんて人間には分かりっこないから、類推に基づくしかないのだが、そう思って観察してみると、なかなかこれが的を得ている。 一匹の飼い犬が、ある人間に敵意をむき出しにするとしたら、それは彼が「群れには属さないヤツ」だということである。また犬が、ある人間の命令を何でも聞くとしたら、彼が「集団の上位者」だということであり、逆に歯牙にもかけぬとしたら「集団の下位者」ということになろう。ときどき小さい子供などが、始終飼い犬にちょっかいを出して、犬のほうでは怒りはせぬが、なんだか迷惑そうな顔をしていることがある。これなどは「同等だけれどあまり好きではない仲間」ということになるのだろう。
 それでは私自身はどうなのだろうか。例の定食屋の犬は、私を彼の「群れ」のどこに位置づけているのだろうか。
 私が店に入っていくと、彼は一目散に飛びかかってくる。しゃぶりつき、ときに手に噛みついたりして、なかなか容赦がない。私が抱いてやろうとすると、ふざけて後ずさりする。そうして興奮して部屋中を駆け回る。どうやら彼は私を「友達」と思っているらしいのである。(実家で二匹猫を飼っていて、ときどきふざけて合って二匹で格闘まがいのことをやるのだが、その様子が、この犬のはしゃぎっぷりとよく似ているのである。)「お座り」の合図も、店の主人なら一発で聞くが、私がやっても聞いたり聞かなかったりである。やがて食事が運ばれてきて私が箸を動かしはじめると、つまらなそうにそばを去って、どこかで居眠りをはじめる。店を去るときは媚びるそぶりは見せず、何となく名残惜しそうな目つきで見つめている。
 「お前の精神年齢が犬並みってことだろう」。どうやら犬のほうではそう思っているようである。