断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

場所のない風景

 3・11からおよそ一年半が経った。被災地以外の生活はとっくの昔に平静を取り戻しているが、いつまた再び破局的な惨事に見舞われかねないという思いは、ずっと消えずに残っている。それはマスメディアの煽りのような、はっきりとした形を取るだけでなく、私たちの心の深部に沈潜し、無言の影響力を行使しているように見える。このことを私は、今夏、ふとした出来事から思い知らされた。
 前期の授業も終わり、ようやくその疲れも抜けつつあった八月の初旬、私は借り物のバイクで、大井川の最奥部、畑薙第一ダムを目指した。安倍川の谷から支流の中河内川へ折れ、西河内川との合流地点から落合の集落を通り過ぎたころ、ふと自分が、何か異様な非現実の風景の中を走っているのに気づいた。バイクを止め、ヘルメットを脱いで周囲の景色を見渡した。何も変わったことはない。真夏の陽光の下、蝉しぐれが谷を埋めている。何の変哲もない夏山の光景である。私は再び走りはじめた。が、風景にただよう一種の非現実感はなくならなかった。
 口坂本温泉を過ぎた頃、ようやくその原因に思い当たった。バイクで山の中を走るのは、震災以降、初めてなのである。しかもこの中河内川の谷は、アプローチの長さゆえに敬遠することが多く、通るのは五、六年ぶりだった。(この日もがけ崩れの影響で、やむなくこの道を通ったのである。)静岡で地震が起これば(そして浜岡が福島と同じようなことになれば)、ここへは二度と来られなくなる。いま見ているこの景色は、ひょっとしたらこれが見納めかもしれない。私は心の片隅でそう考えながら走っていたのである。そんな考えが目の前の風景に投影され、そこに一種の非現実感を付与していたらしい。
 大岡昇平の『野火』にこんなくだりがある。第二次大戦の末期、フィリピン戦線に送られた「私」は、フィリピンの山中をさまよいつつ、ふと「奇怪な観念」にとらえられる。それは「この道は私が生れて初めて通る道であるにも拘らず、私は二度とこの道を通らないであろう、という観念である。」


 比島の林中の小径を再び通らないのが奇怪に感じられたのも、やはりこの時私が死を予感していたためであろう。我々はどんな辺鄙な日本の地方を行く時も、決してこういう観念には襲われない。好む時にまた来る可能性が、意識下に仮定されているためであろうか。してみれば我々の所謂生命感とは、今行うところを無限に繰り返し得る予感にあるのではなかろうか。


 しかし事の本質は、「行為」というよりは「場所」に関する私たちの観念の内にあるように思われる。
 何年か前の夏のことであるが、大井川の谷を歩いていたときに、突然の驟雨に見舞われ、民家の軒先を借りて雨宿りをしたことがあった。雨そのものは三十分足らずでやみ、再び強い午後の日差しが照りつけだしたが、雨に洗われた後の風景はみずみずしく、生まれ変わったように新鮮だった。この時、ある切実な思いが私をとらえた。この眺めは、この瞬間をおいてほかに存在し得ないということ。それは反復不能な「時」の流れの中に置かれた一回限りの出来事だということ。いつの日か私が再びこの地を訪れても、これと同じ景色はもう二度と見られないだろうということ。
 が、それにもかかわらずこの景色は、たしかに私の前に「存在」していた。それは一時の幻のようなものではなく、はっきりとした現実感とともに私の眼に映っていた。たぶんそれは私が、この場所に「好む時にまた来る可能性」を、「意識下に仮定」していたからだと思う。「この景色」は二度と再び見られない。しかし「この場所」は、何度でもまた訪れることができる。「繰り返し訪れることができる」という事実は、その場所が「実在のもの」であることの根拠(私たちの主観の中での根拠)となる。(たとえば夢の中での「場所」は、繰り返し訪れることはできない。)そのような根拠に基づいて得られる観念(「実在の場所」という観念)が、風景そのものにもリアリティーを与える。「時」の流れの中にあって「仮象」に過ぎぬ風景というものに、実在性の刻印が押されるのである。
 安倍川の山中で私が感じた現実喪失感は、この場所を二度と訪れることができないかもしれぬという予感と深く結びついていた。「反復できない場所」という観念は、風景からリアリティーを奪う。いわばそれを夢の中での情景のようなものに変えるのである。大岡昇平のいう「生命感」は、たぶん、風景をはじめとする私たちの外界が、生き生きとした現実感をもっていることと表裏の関係にあるものなのだろう。実際、離人症においては、人間の自己存在のリアリティーと外界のリアリティーとが、ひとしなみに失われてしまうのである。