断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

小林秀雄について

 小林秀雄について、個人的な感想を一言。
 スーザン・ソンタグロラン・バルトを論じたエッセイの中で、彼の書いたものには自分の感受性を誇るようなところがあると延べ、そうしたことは審美的な資質をもつ書き手に通有のものでもあると指摘しているが、これはそのまま小林秀雄にも当てはまるように思われる。小林秀雄の批評には、自分の「感動」を誇示するようなところがある。さして感動していないものを、さもさも感動しているように書いている箇所さえあって、読んでいて鼻白む気分にさせられることもある。(むろん本当に感動しているかどうかは、本人にしか分からないわけだが。)
 だがこの自己の感受性の特権化といったものは、彼の批評の腕っぷしの強さと表裏の関係にあるのであって、たとえば彼の『モオツァルト』なども、読んでいて反論したくなる箇所がずいぶんとあるのだが、それでも全篇を読み通すと、これはこれで立派な作品だと納得させられてしまう。「批評の神様」の面目躍如といったところであろう。