断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

大井川逍遥(1)

 大学の冬学期が終わって一ヶ月半、研究ばかりの毎日に嫌気がさして旅行に出た。といっても日帰りの旅、行く先は近場の大井川である。
 旅に出る前は、期待まじりの不安な気分になることが多い。その時の精神状態にもよるのだが、今回はことのほかその不安が強かった。軽い胸騒ぎがしきりにしていた。家に閉じこもりきりの生活が、知らず知らず心を蝕んでいたのだろう。それでも部屋を出て明るい道路の上に立つと、だいぶ気持ちが楽になった。三月九日。空は雲ひとつなく真っ青に晴れ渡っている。気温も夏日に近いという予想である。
 JR金谷駅で降りて大井川鉄道に乗り換えた。車内は行楽客が大半だが、さほど混雑していない。ボックス席に陣取り、発車を待って弁当を広げた。
 列車は大井川沿いに北上する。しばらくは市街地を走るが、五和駅を過ぎたころから、ようやく山間の景色になった。大井川の広い川面が青空を鷹揚に映している。河川敷にはすでに芽吹きの色を見せる樹木もある。
 四十分ほど乗って塩郷という駅で降りた。線路の片側に細長い吹きさらしのプラットフォームがあるだけの小さな無人駅。目前に大井川の大きな流れが、ゆるやかに蛇行している。川面が日差しを浴びてきらきらと輝いている。その向こうには、幾重にも重なるなだらかな山並みが、まばゆい昼下がりの空の下に白くけぶっている。駅の横を走る県道に出、川沿いに少し遡ってから、大井川にかかる長いつり橋を渡りはじめた。
 大井川にはいくつか長いつり橋がある。ここの橋は220メートルもあり、高所恐怖症の人間には相当きつい代物だ。私自身は大丈夫だが、つい先日、天竜水窪のつり橋でトラブルがあったと聞いていて、ちょっとだけ緊張した。いつもならふざけて橋を揺らしながら駆け抜けるのだが、さすがにそんな気にはならない。足元を確かめながらゆっくりと渡っていった。橋の上から見下ろす流れはよく澄んでいて、水底の石までくっきりと見えた。
 つり橋を渡りきり、橋のたもとの小暗い木立を抜けると、明るい茶畑の脇に出た。新茶の季節にはまだ遠く、茶葉は黒ずんで生気がなかったが、硬い葉の上にまばゆい春の光が氾濫していた。
 茶畑が尽きるとキャンプ場が現れた。週末とはいえ客はまばらである。広い林間の敷地に数台の車が停められ、そのわきにテントが、所在なげにたたずんでいる。敷地を横切るように歩いていった。地面を覆う芝状の下草はまだ枯れたままで、一面に広がる明るいベージュ色が、昼下がりのおびただしい光を散乱している。それは妙に空虚な眺めだった。明るい春の陽光が、まだ冬の眠りにある大地の上を上滑りに滑るとでもいったような、虚しい、行き場のない明るさであった。
 キャンプ場の敷地を抜け、川の流れを目指した。河川敷の端にある潅木に囲まれた空間を横切り、広い川原に出たが、川筋ははるか遠くにあって見えない。冬場の晴天続きで川原はからからに乾ききっており、いたるところに白骨のような流木がごろごろ転がっている。遠くで作業中のダンプカーが低い音を立てて行き来しているのが見える。空は不気味なほど真っ青に晴れ渡り、遠くに風の響きが、あるかなきかの耳鳴りのようにざわめいている。不思議な虚無感の漂う風景であった。私は、さんさんと降りそそぐ無機質な太陽光を浴びながら、ゆっくりとその風景の中を歩いていった。
 やがて微妙なうるおいが空気の襞に滲みだし、それによって流れが近づきつつあるのが分かった。するうちに水音が聞こえ、とうとう流れが目に入った。河川敷の端から三、四百メートル、あるいはもっとあったかもしれない。川原の広い大井川でも特別に広くなっている箇所なのだろう。
 川べりの石に腰かけ、ペットボトルを片手に川の流れを眺めた。川砂利をショベルカーでえぐって造ったようなような、おそろしく殺風景な川筋である。遠い下流に小さな橋がかかり、ダンプカーが行き来しているのがミニカーほどの大きさで見える。何だかひどく興ざめだった。気持ちが沈み込み、救いようのない虚しさの中にいる気がした。水着を用意してきていて、場合によっては泳ぐつもりだったのだが、とてもそんな気分にはなれない。しばらく川面を眺めてから立ち上がり、ズボンの汚れをはらって、今来た経路をなぞるように歩いていった。