断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

大井川逍遥(2)

 沈んだ気持ちのまま駅へ戻り、二駅戻って川根温泉笹間渡駅で降りた。ここの湯は大井川をのぞむロケーションが素晴らしく、湯量も多い。その温泉につかっていくつもりだった。
 線路伝いに道を歩いていくと、満開の河津桜が見えた。近づいていくと、桜のたもとに三脚を構えている人たちがいる。見ると茶畑をはさんだ駐車場のへりにも、たくさんの人たちがカメラを構えている。どうやらSLが来るらしい。私も見物してゆくことにした。
 桜の下にレンズを構えているカメラマンは四人いた。装備からして二人はプロ、もう一人は素人、残る一人はどちらとも判断がつかない。「素人」は背の高い若い男で、いかにも楽しそうにカメラをいじっている。「プロ」の二人はぴりぴりした雰囲気で、ときどき思い出したようにカメラの位置を調整したり、小型のポンプでレンズのほこりを払ったりしている。
 道の脇に置かれた四角いアルミ製のケースに、午後の日が降りそそいでいる。傾きかけた日差しが、硬い金属質の表面を滑っていく。その空虚な明るさにぼんやりと目をやりながら、虚しさとも悲哀ともつかぬとりとめのない感情が、心に打ち寄せては引いていった。
 やがて汽笛の音が一声、谷間に響いた。来るぞと思った途端、「プロ」の一人が悠然とカメラの再調整をはじめた。どうやら鉄道会社に委託されたカメラマンらしい。今の汽笛は列車の運転士からの合図だったのだろう。しばらくしてもう一度汽笛が鳴った。シュッシュッという鋭い蒸気機関の音とともに列車が近づいてきた。
 巨きな黒光りのするSLの車体がゆっくりと土手の上に姿を現した。カメラのシャッターが次々に下ろされる。続いて数両の客車が、のしかかるような角度で頭上を過ぎた。客が窓越しに私たちに手をふった。列車はもう一声汽笛を鳴らし、見る見る遠ざかっていった。
 「プロ」の二人は手早くフィルムを取り出し、片付けはじめた。機械的な手つきだったが、どこかに安堵の気配が漂っている。一仕事終えた人間が一服するとでもいった感じだった。張りつめていたその場の空気が解かれ、時間の中に生き生きとしたものが流れ出した。
 そのとき私は気づいたのだった。今朝、自宅の部屋を出たときから、ずっと同じ暗い気持ちを引きずっていたことを。いや、そういう言い方は正確ではない。晴れない気持ちなのは自分でもよく分かっていた。むしろこう言うべきである。この一日、私は外的現実の中にありながら、ずっと自分自身の主観の内部を歩いていたのだと。悪い夢を見たその目覚めに、布団にくるまったまま、すでに心は覚醒しているのに夢の気分に浸っている感覚、いわば目覚めながら夢の中にいるとでもいった感じ、あれと同じ状態で、私は家を出、電車に乗り、風景の中を歩いて、ここまでやって来たのだった。張りつめた気分から解放されたカメラマンたちと一緒に、いま私も、不意につき物でも落ちたように自分自身を取り戻したのであった。
 私は土手の上の河津桜をもう一度見上げた。紅色のはなやかな花房が相変わらず日差しをはらんで輝いている。ここ一ヵ月半というもの、ろくすっぽ人にも会わずに部屋に閉じこもっていた。研究上の心労、孤独感、将来の不安などが、一人きりの日々の中にとぐろを巻いていた。それをこの旅にも引きずって来ていたのだった。