断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

大井川逍遥(3)

 まだ機材をいじっているカメラマンたちを後に、私は温泉の建物を目指して歩き出した。大きな駐車場を過ぎて建物に入り、受付で手続きを済ませて湯へ向かった。浴場が近づくと、人いきれと温泉臭がまざったような独特の匂いが立ち込めてきた。それが妙に人恋しい感傷的な気持ちを起こさせた。
 手早く脱衣して、外の露天風呂につかった。週末でかなり混んでいたが、たくさんの人に混じって湯につかるのも心楽しかった。あちこちで客たちが雑談に興じている。聞くともなしにぼんやりと耳を傾けていると、ふと、もうすぐSLが来るという話が耳に入った。はたしてしばらくすると、客たちがぞろぞろと湯を出て川に面した場所に集まりだした。浴場のすぐ目の前には大井川の川原が広がり、その上に鉄橋が架かっている。やがて汽笛の音がした。ちょっと間を置いて列車が、勇ましい蒸気機関の音を立てながら姿を現した。ゆっくりと噛みしめるような足取りで橋を渡り、汽笛を一声残して消えていった。
 それを潮に多くの浴客が湯を後にした。私もその後について浴場の外へ出た。食堂へ行き、ビールとつまみを頼んで休憩室へ行った。
 湯上りのさわやかな気分だった。沈んだ気持ちはまだ残っていたが、もうよほど回復している。部屋には何人かの客が畳の上に横たわっていた。ビールを飲みながら、部屋に設置してあるテレビの画面をぼんやりと眺めた。
 夕刻、ほろ酔い気分で建物の外へ出ると、日は山の向こうに消えていた。線路伝いの道をゆっくりと駅のほうへ戻っていった。河津桜の花はすでに暮色の中に沈んでいる。線路の向こうには、数棟のコテージ風の宿泊施設があって、林の中に灯をともしている。昼間は汗ばむほどの陽気だったが、さすがに日が沈むと肌寒い。山から冷たい空気が下りてくるのがはっきりと感じられる。しかし湿りを帯びた夜気は、しっとりと肌になじむようで、それが昼よりもかえって春らしい気を起こさせた。
 川根温泉笹間渡駅に着くと、ほどなく列車がプラットフォームに滑り込んできた。列車に乗りこんで座席に着くと、すぐに温泉疲れの強烈な眠気が襲ってきた。