断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

清水現代アート研究会(1)

 静鉄の狐ヶ崎駅にある「スノドカフェ」(正式名:オルタナティブスペース・スノドカフェ)で、月に一回、現代美術をテーマにした会(清水現代アート研究会 http://www.sndcafe.net/monthly/sgak.html)を開いている。ここは現代美術以外にも、演劇や音楽など色々な催しをやっていて、以前、近くに住んでいたときには頻繁に足を運んでいたのだが、引っ越してからご無沙汰してしまっていた。先月、その現代美術の会に久しぶりに顔を出してみた。
 現代美術の研究会などというと堅苦しいイメージを持たれるかもしれないが、実際はアットホームな集まりである。私自身、久々の参加だったが、リラックスムードで話に加わることができた。
 内容自体は以前とは大分変わっていた。今回面白かったのは、「三十分間、一つの絵を見続ける」というものである。主催者が用意してきた絵を、三十分間、ひたすら見続ける。そうして各自が気づいた事をメモしていく。時間中、話をするのは自由である。ただしあくまでも意見交換程度で、喧々諤々の議論はご法度である。これは、限られた時間内で議論に深入りしないためである。また、美術史上の知識も使ってはいけない。先入見抜きでひたすら絵を見ることが目的だからである。
 三十分間、同じ絵と向き合うのは根気が要るが、有意義な作業である。今の美術館は、手取り足取り色々なことを教えてくれるが、ただ一つ、「見る」という行為だけは教えてくれない。むろんカタログやイヤホンガイドは絵についての「知識」を与えてはくれる。しかし「知識」だけで分かった気になってしまうと、逆に「見る」という行為がなおざりにされてしまう。また人気の展覧会ともなると、たくさんの入場者でごった返すから、落ち着いて一つの絵の前にとどまることもできない。下手をすれば係員のメガホンで、さっさと動けと誘導されてしまう。
 さて肝心のテーマだが、今回はダリの『記憶の固執』だった。これはあまりにも有名な絵で、先入見抜きに見るのは難しいといえるが、有名な絵を「初めてのもののように見る」というのも、「見る」勉強になるのである。