断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

モーツァルト 十番台のピアノ協奏曲

 前回の記事で、モーツァルトのピアノ協奏曲のことを書いた。その際、二十番台のピアノ協奏曲は晩年の円熟した作品で、十番台はそこへいたる発展途上の作であるかのような書き方をしてしまった。これは全くの間違いではないが、誤解を招きやすい表現である。今回はそのことについて少し書いてみたい。
 モーツァルトはヴァイオリン協奏曲も5曲書いている。このうち第3番以降がすぐれた作品であるとされ、中でも第5番は人気が高い。そのほかに40を超える交響曲も書いていて、第35番以降が名作、とりわけ最後の三曲(39番、40番、41番)は「三大交響曲」と称されている。そこで、これら三つのジャンルの作品をばらばらに混ぜ合わせた上、創作年代順に並べてみよう。

ヴァイオリン協奏曲第1番 1773年(17歳)
ヴァイオリン協奏曲第2番~第5番 1775年(18歳)
交響曲第35番 1782年(26歳)
ピアノ協奏曲第11~13番 1782~83年(26~27歳)
交響曲第36番 1783年(27歳)
ピアノ協奏曲第14~19番 1784年(28歳)
ピアノ協奏曲第20~22番 1785年(29歳)
ピアノ協奏曲第23~25番 1786年(30歳)
交響曲第38番 1786年(30歳)
ピアノ協奏曲第26番 1788年(32歳)
交響曲第39~41番 1788年(32歳)
ピアノ協奏曲第27番 1791年(35歳)

 ご覧の通り、十番台のピアノ協奏曲は、ヴァイオリン協奏曲の第5番よりはるか後年に作曲されている。しかも多くは、交響曲第35番や第36番よりも後に作られているのである。もちろん創作年代だけでは作品の価値を測ることはできない。しかし十番台のピアノ協奏曲は、作品の出来自体も充実したものが多いのである。にもかかわらず、二十番台に比べて影が薄く、演奏される機会も少ない。
 どうしてこんなことが起こったのかというと、二十番目の協奏曲(ニ短調)がロマン派を先取りするようなドラマチックな作品で、しかもそれがたまたま(これが重要である)十番台と二十番台の区切り目に位置していて、あたかもそこに創作上の飛躍と断絶が存在するかのように見えてしまうからであろう。いわばこれは「数字のマジック」なのである。おかげで十番台の作品は人気面で完全に割を食ってしまった。逆に言うと、仮にピアノ協奏曲に番号がついておらず、通しの作品番号(ケッヘル番号と呼ばれる)だけが付いていたとしたら、かなり事情は異なっていたであろう。
 最後に、十番台のピアノ協奏曲で私が好きな曲をいくつか挙げておきたい。

第11番ヘ長調 K413(第三楽章)
第15番変ロ長調 K450(とりわけ第三楽章)
第19番ヘ長調 K459(とりわけ第三楽章)


 機会があったらぜひ聴いてみてください。