断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

そしてバイクの旅

 一方のバスは、車内空間そのものの魅力が乏しい上に、道路という、これまた味も素っ気もない空間を移動していく。旅のツールとしては魅力が乏しいと言わざるを得ない。むろんバスにもメリットはあって、たとえば車窓風景は、道の選び方次第で列車の及ばないような素晴らしいものを提供できる。が、それにしたってバイクや自家用車といった別の選択肢もあるのだから、積極的にバスを選ぶ理由にはならない。残るは費用面の安さだが、これは旅そのものの魅力とは無関係の要素であろう。結局のところバスの役割とは、他の交通手段を補完したり代替したりすることに尽きるのかもしれない。私自身、ほとんど毎週のように東京と静岡の間を往復しているが、バスは使うことはほとんどない。あの狭い空間に三時間以上閉じ込められるのがイヤなのである。
 最後に私自身の好みを言うと、私が一番魅力を感じる旅のツールはバイクである。似たようなツールとして自動車があるが、こちらはあまり好きではない。何よりあの狭い閉鎖空間が苦痛である。オープンカーという選択肢もあるが、小さなスペースの中に身体を閉じ込めるという点では変わらない。親しい相手とプライベートな空間を共有するという楽しみもあるにはあるが、これは車でなくてもできることである。結局、ドライブをしていて楽しいのは、サービスエリアや展望台で車を降りて体を伸ばすひとときということになるだろう。
 それならば自転車はどうなのか。外の空気との一体感という点で、自転車はバイクに勝る。何よりもあの重苦しいヘルメットという代物をかぶらずに済むメリットが大きい。実際私は自転車も大好きである。(学生時代は自転車サークルに所属していた。)しかしどちらを択ぶかといえばバイクのほうを択ぶ。これについては多少説明を要する。
 大まかにいって旅の楽しみは二種類に分けられる。目的地に着くまでの楽しみと、そこに着いてからの楽しみである。前者には旅のプラニングから始まって、途中の車窓風景、車内や船内でのもろもろの娯楽が含まれる。後者には行き先でのグルメや観光、旅宿でのくつろぎなどが相当する。人によってはこれに、旅から帰った後の楽しみを付け加えるかもしれない。思い出話や写真の整理、みやげ物を友人知人に配る楽しみである。
 しかし旅にはもう一つ別の種類の楽しみがある。目的地に着いた瞬間の楽しみである。旅の行き先に着いて列車やバスを後にし、はじめての土地に降り立つあのわくわく感、目の前に無限の未来が開けてくるようなあの感覚、私はあれが大好きなのだが、実はそれはバイクに乗って未知の土地を走るときの感覚と非常によく似ているのである。
 車でドライブしながら眺める景色は、列車やバスの車窓風景と同じものである。その意味でそれは「目的地に着くまでの楽しみ」である。一方自転車に乗るのは、徒歩で自然の中を歩き回る感覚と似ている。それは「目的地に着いてからの楽しみ」に近いものなのである。
 バイクはそのどちらとも異なる。バイクを走らせながら、直接外気に身をさらしている私は、風景を眺めると同時にそのただ中にいる。しかも景色は一瞬として同じものにはとどまらず、私が目にし、そこに身を置いている空間は、絶えず別のものへと更新される。私は未知の風景の中へ、いわば絶え間なく「降り立つ」。それは「未来」に彩られた「現在」の持続であり、あるいは絶えざる現前としての「未来」である。バイクの旅は私にとって「目的地に着いた瞬間」の連続なのである。