断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

梅花の一季

 大みそかの今日は、こちら(静岡)では夜からは雨という予報で、明るいうちに買い物などの用事を済ませた。年越しソバやおせち料理を食うわけではないので、単なる日用品や食品の買い出しだが、それでも明日から新しい年だと思うと、なんとなく心が浮き立つ。
 買い物帰りに近くの川へ行った。午後五時前。すでに日が暮れかかっている。冬至を過ぎてまだほんの一週間ほどだが、それでも少しばかり日が長くなったような気がする。雨が近いせいか気温も高く、遠い山並みはうっすらと霞がかっていた。年の瀬というよりは春の夕暮れのような風情だった。
 橋のたもとの花屋に入ると、小洒落たフラワーアレンジメントに並んで、梅の花が置いてあった。品種は分からないが小さな花ぶりで、匂いも草花のような硬い匂いを放っていた。
 いつの頃からか私は、梅の花に特別な愛着を覚えるようになった。梅の季節が来るたびに私は、また一年、生きてきたということをしみじみと実感する。大げさに聞こえるかもしれないが、実際この一年間も実に色々なことがあり、去年の今ごろが遠い過去のように思える。
 家に帰ってしばらくすると雨が降り出した。そこはかとない感傷と幸福感のまま、私はパソコンに向かい、今年最後の記事を書くことにした。