断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

夕焼けの思い出

 先週のことである。東京での仕事帰りに、夕暮れ時の街を一人ほっつき歩いていると、こちらにカメラを向けている若い西洋人の旅行者に出くわした。何かと思って振り返ると、ガードレールの橋梁のそばに、一人のホームレスが襤褸を敷いて横たわっている。折しも赤々と夕日が差し込み、むっとするような雑踏の空気にほのかな哀愁が漂っている。すれ違いざまこっそりファインダーを覗いてみると、真っ赤に染められた画面の一角に、黒い人影と橋梁が映っていた。
 私の人生最初の記憶は夕焼けの光景である。三歳の頃であろうか。近所の大きな池の向うへ沈みゆく真っ赤な日輪を、母と一緒に眺めていた。当時その池へは、毎日のように母に連れられて来たらしい。大きな落日の光景は、幼い子供の眼底に、幾度となく生々しい色彩を刻印していたのであろう。
 前回の記事で、近所の橋から眺めた風景について書いたが、昨日、窓から見える夕映えがあまりに綺麗なので、自転車でひとっ走りその橋へ行ってきた。日が沈みきらぬ前にと息せき切って駆けつけると、山並みへと続く広い谷間の上に、クロード・ロランの描いたような壮麗な夕景が待っていた。ふだんは私のほか景色を見る人間などいないのだが、この日ばかりは何人も橋の上に集まり、中にはスマホや一眼レフのレンズを向けている人もいた。
 欄干にもたれて一心に景色を眺めていると、「すごいね。」と後ろに声がした。びっくりして振り返ると、通りがかりのおばさんが立ち止まって眺めている。「すごいですね。こんなの初めてですよ。」と答えると、「すごい。怖いくらいだよ。」そうつぶやいて立ち去っていった。