断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

俳句、音楽、そしてフライブルクへ

 今年も残すところわずかとなった。一年間はあっという間のようでもあり、またおそろしく長かったような気もする。
 落ち込みがちなときもあったりして、気晴らしに旅行にでも出たい気分だが、年の瀬でなかなかそうも行かない。それでも10日ほど前、静岡にある生のコンサートを聴けるバーへ行ってきた。ピアノとフルート、オーボエによるトリオ。こぢんまりとしたサロン的空間で、お酒を飲みながらのんびりと愉しんできた。
 久々に俳句を作って句誌(「りいの」)に投句した。ずいぶんと間が空いてしまったので、はじめは作るのにかなり難儀した。

水鳥の羽のぬくみや秋時雨
絶え絶えに残り蚊休む日向かな
冬立ちて空一回り大いなり
猫の尾の星を指し行く冬月夜
深閑と冬の竿さすお濠かな
今日はまた寒鯉深し舟の下
大根干す村はいづこも日の溜まり
林中は日差しばかりや二月尽

 先週末のことだが、これも久々にヨハン・クリスチャン・バッハ(セバスチャン・バッハの末子)のクラヴィーア・コンチェルトをまとめて聴いた。大学卒業後に盛岡で勤め人をやっていたころによく聴いていた曲で、あの頃、自分の人生の道筋がまったく見えずに悩んでいたときのことがありありと蘇ってきた。
 モーツァルトのような個性的であり、また個人的でもあるような音楽よりも、クリスチャン・バッハの非個性の様式美にみちた曲のほうが、かえって十八世紀という時代の空気をよく伝えているように思える。しかもこの外向的な時代が、はからずも携えている、微妙な陰影のようなものまで伝えているという点でも。典雅な外面性の背後に息づくかすかな哀愁。だがその哀愁は、のちのロマン派の音楽におけるような演劇的ないしは文学的な悲哀ではない。それは明るい水の面をよぎる、かすかな雲の影のようなものだ。だがこれは何という雲の影だろう。それは見る者を、何かしら追憶めいたもの、郷愁めいたものへと誘う。クリスチャン・バッハモーツァルトの音楽的源流の一つだが、その影響関係は、単に技術上のものとは思えない。彼によって外化された「時代の内面性」とでもいうべきものを、モーツァルトは、いわば芸術家個人の内面性において止揚したのである。
 さて旅行記のほうだが、ようやく旅の前半が終わりかけている。この日(8月14日)はフライブルクへの移動日なので、メモ風にざっと記すことにしたい。
 ヴィルダースヴィールからインターラーケン・オースト駅経由でトゥーンへ。ここはその名の通りトゥーン湖の西端にある町で、湖の東端のインターラーケンとはちょうど対の位置にある。駅を出て旧市街へ向かい、そこから石段でトゥーン城へ登った。日曜日でほとんどの店が閉まっているのが残念だったが、美しい町並みは十分に堪能できた。
 再び列車に乗ってスイスの首都ベルンへ。ツーリスト・インフォーメーションで地図をもらって旧市街を歩き、アインシュタイン・ハウスへ。物理学者アインシュタインが、特許局に勤めながら特殊相対性理論を書き上げた部屋で、今は観光客向けに小さな記念館になっている。
 記念館を出て街の目抜き通りをさらに歩いて行ったが、フィレンツェで酷使した足の痛みが戻っくるようなイヤな感覚があったので途中で引き返し、駅の近くにあるベルン美術館へ。「スイス半額カード」を使って入れたのは良かったが、展示品の少なさにはちょっと失望した。
 ベルンの駅へ戻って列車でバーゼルへ。そこで列車を乗り換え、ようやくドイツ国内に入った。IC(インターシティ)を使って一時間ほどでフライブルクに到着。旧知の土地にたどり着いてほっとした気持である。
 イタリアは自分にとって不慣れな国だったので、旅行中にもたえず緊張感を感じていた。これに対してスイスでは、万事気ままにマイペースで歩いていたつもりだったが、今にして思えば、どこかで緊張感が抜けきらなかったようである。そのことは旅行中には気づかなかったが、今、慣れ親しんだドイツに着いてみてはっきりと自覚した。物価もスイスに比べて格段に安く、やっと安心して財布のひもを緩めることができる。(ちなみにスイスではバゲットのサンドウィッチが一個1000円近くもした。)
 フライブルクでは二週間を過ごしたが、これはゲーテ・インスティテュートでのドイツ語教授法研修が目的で、私にとっていわば日常生活の延長である。なので滞在中の細かい出来事は割愛し、折にふれての「雑感」を中心に記すことにしたい。