断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

近況と雑感(2)

 昨日は東京芸大での授業で、一週間ぶりに上野へ出た。天気予報では静岡は夜から雨だったが、重たい傘を持ち歩くのがイヤで、帰りがけに100円ショップでビニール傘を調達することにした。授業後、大した用事もないのにあちこち歩き回っていたら、終電間際になってしまった。すでに傘は買ってある。しかし肝心の新幹線に乗り遅れては元も子もない。慌てて電車に乗り込んで東京へ向ったら、途中、隣に座っていた女の人が傘を忘れたまま電車を降りようとした。大声で呼び止め、傘を渡してやった。
 幸い新幹線には間に合い、最終の「ひかり」で静岡へ向かった。傘を電車の中に忘れてきたのに気付いたのは、その直後である。



 アランが「優柔不断は悪である」というデカルトの言を採り上げて縷説している。この言葉の重みは私にも良く分かる。私自身、優柔不断の害悪を身をもって体験したことがあるからである。
 大学を卒業し、会社員生活を始めてしばらくしたころ、この仕事は自分には合わないと思って退職を申し出た。案の定というか意外にもというか、会社から激しい引き留めにあった。迷いに迷い、とうとう会社にとどまることを決断した。だがその理由は「大学に戻ることならいつでもできる。しかし会社は一度辞めたらもう戻れない。とりあえず会社に残るという選択をして、もうしばらく続けてみよう。それで本当に自分に合わないと分かったら、その時に辞めればいいじゃないか。」という情けないものであった。半年後、精神的に「もうだめだ」というところまで追いつめられて会社を辞めた。この仕事が自分には合わないことを骨の髄まで思い知らされての退職だった。
 しかし話はこれだけでは済まなかった。このとき蒙った精神的な消耗が、その後何年も尾を引いて私を苦しませたのである。優柔不断ゆえの半年のタイムラグが、何倍にもなって私に跳ね返ってきたのであった。