断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

新幹線が止まったこと(2)

 次の日は朝食をとってすぐにチェックアウトした。富士山麓田貫湖と白糸の滝へ寄り、その足で静岡へ戻るつもりだった。
 ホテルを出て駅へ向かった。旅の日の朝にホテルを出るときほど心が浮き立つ瞬間はない。さわやかな朝の大気のそこかしこに、今日という日の「希望」が無言でひしめいているように思える。
 下りの列車に乗り、富士駅で降りた。そこで身延線に乗り換えて富士宮駅へ向かう。20分ほどで富士宮駅に到着。そこでバスに乗り込んで田貫湖へ向かった。
 田貫湖へは明るい緑の中の長い上り坂であった。ほどなく旅情が私の心を隈なく満たした。田貫湖は軽く景色を眺めるだけにして、すぐに帰りのバスに乗ってしまう予定だった。小さな湖で周囲には何もないと聞いていたし、天気も曇りがちで、富士山の眺望も望めそうになかった。そのうえ帰りのバスは、これを逃したら二時間後である。ここで時間を浪費するよりは白糸の滝へ戻り、その周辺で時間を使うのが得策だと思った。
 しかしバスを降りて湖畔に立つと、たちまち考えが変わった。さっさと後にしてしまうのは惜しい、それくらい素晴らしい景色だった。しばらく湖畔をぶらついた後、レンタサイクルの看板があった店に入った。三十分300円、一時間500円。湖を一周するのにおよそ20分とのことだったが、もちろん一時間のほうにした。すぐに自転車に乗って湖畔の道を走り出した。
 空は曇っていたが、ときおり薄日が差し、それがかえって木々の緑に初夏らしい風情を与えていた。ホトトギスがしきりに声を立てている。ウイークデーということで客もほとんどいない。美しい高原の景色をひとり占めしている気分だった。途中、自転車を止めて水辺のほうへ歩いたり、気に入った眺めをスマホにおさめたりしている内に、たちまち一時間が経った。店へ戻って自転車を返し、ビールを買ってふたたび湖畔へ出た。ほろ酔い気分で芝の上に寝そべり、ほのかな草いきれの中に身を沈めた。そのまま眠ってしまいたい気分だったが、残念ながら次のバスまであまり時間がない。立ち上がって歩き出し、バスの停留所があるホテルへ向かった。デッキでコーヒーを飲んでいる内にすぐにバスの出発時間になった。
 白糸の滝は富士宮駅へ戻る途中にあり、15分ほどの行程だった。バスの時刻は三十分後だったが、滝を眺めて歩いているうちにすぐにその時間になった。駅までは30分。前後不覚の深い眠りに落ち、気がついたら駅に着いていた。
 そうした次第で、ひょんなことから極楽とんぼを飛ばしてしまったわけだが、最近は気分的にずっと低調だったから、久々の泊り旅行はよい気分転換になった。何よりもラッキーだったのは、東京駅を発つ前に新幹線が止まってくれたことであろう。乗車途中のトラブルだったら、車内で一晩を過ごすはめになったはずである。極楽とんぼどころか疲労困憊の体で静岡にたどり着いたに違いない。


田貫湖の風景


同じく田貫湖にて


湖畔をサイクリング