断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

8月31日(ツオーツ~ミラノ その2)

 新学期が始まり、忙しさにかまけてしばらくブログをさぼってしまった。旅行記の残りを続けることにします。

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 ベルニナ峠を越えてすぐの駅、アルプ・グリュムで途中下車をした。駅は高台にあり、目の前に雄大な氷河のパノラマが広がっている。氷河の先端から流れ落ちる無数の川筋が大きな山の斜面に、瀬となり滝となって迸っている。
 景色に見とれていると、奥さんらしき人と一緒にいた日本人が「写真を撮ってほしい」と声をかけてきた。氷河をバックに数枚撮り、私自身も何枚か写真を撮ってもらった。
「スイスを回ってらっしゃるんですか?」と訊くと、
「いやあ、ダヴォスで国際会議があって、空き時間を利用して抜け出してきました。」
「お仕事は何をなさってるんですか?」
「いや、だからダヴォスでの国際会議に出ているんですよ。」そう言って、首にかけている名札を私に示した。
「……ああ、そうですか。それはとても偉い方にお会いしてしまったわけですね。」
「いやあ、それほどでも。」
「……。」
 それからしばらく話をして「ここの鉄道は高いですね。」と私が言うと、
「あなた、当たり前でしょ。これだけの設備を維持してるんだから。」
「……。」
 ちなみに私は元JR職員である。山崎豊子の小説から抜け出してきたような人物であった。
 二人と別れ、駅に隣接したレストランに入った。テラスでビールを飲みながら、正面に広がる氷河の景色を楽しんだ。グラスが空いたが、次の列車まではまだ時間があった。店に荷物を置かせてもらい、身軽になって線路の反対側にある山の道を登って行った。
 しばらく登ると別のレストランがあった。斜面からせり出すように作られたテラス席があり、そこからイタリア方面へ下っていくベルニナ線の行路が一望のもとに見渡せた。幾重にも重なる山の上に白い夏雲が輝き、はるかかなたに青い湖面がのぞいている。
 私は大きく息を吸った。この旅の間ずっと置いてけぼりにしていたところへ、今ようやく戻ってきたような気がした。あちらには三週間前と同じ夏がある。だがそれはイタリアの夏ではなく日本の夏だった。私は成田へ向かう車窓から見た日本の入道雲を、熱海の入道雲を、志太平野入道雲を思い出した。ずっと置き去りにしていたもう一つの夏が、大きな身振りで私を手招きしている。いまそこへ戻ってゆくのだという思いが、新しい旅への希望のように私の心を満たした。
 アルプ・グリュムからティラノへは一時間半ほどの行程だった。途中、ポスキアーヴォ湖という湖のそばを走ったが、これが先ほど山の上から遠望した湖である。
 ティラノは国境にあるイタリアの町だが、山間の明るい街並みのいたるところスイスの余韻のようなものが漂っていた。荷物を引きずりながら石畳の道を歩き、店に入って日本への土産を買った。チョコレート、そして飴を一缶。残りはミラノに行ってから買うつもりである。店員は若い女性だったが、普通にドイツ語を話してくれた。
 イタリア鉄道のミラノ行きの列車に乗った。エアコンも入っていない古い車両で、窓をすべて開け放っており、暑気をはらんだ遅い午後の風が、思うさま車内に吹き込んだ。その風をいっぱいに浴びながら、私は一心に窓の外を眺めた。一面のとうもろこし畑の向こうに青い山稜がそびえ、その上に白い夏の雲がのぞいている。何の変哲もない田舎の風景である。が、それはこの旅で私の経験した最も美しい時間の一つであった。
 やがて列車はコモ湖の湖畔に出、大きな湖面を右に眺めながら走った。いくつもトンネルをくぐりながら湖を眺めるうちに、日は山の向こうへ沈んでいった。



アルプ・グリュム駅から眺めた氷河



山の上のレストランのテラス席からの眺め。はるかかなたに見える湖面がポスキアーヴォ湖。



車窓から見たポスキアーヴォ湖


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ティラノの町の風景



ティラノ駅を出て間もない車窓風景