断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

9月1日~2日(ミラノ~成田)

 今回のヨーロッパ滞在の最終日だが、午後の便で成田へ戻るので、あまり時間はない。
 ホテルに荷物を置いてブレラ美術館へ。ドゥオモ(大聖堂)前の広場から巨大なアーケードを抜けて、別の広場へ出た。ツーリスト・インフォーメーションがあったのでそこで美術館への道筋を確認し、スカラ座の前を通ってしばらく歩くとすぐに着いた。駆け足の鑑賞だったが、美術はすでに山ほど見てきたし、もういいかなという感じだった。
 帰りは別の道をとり、地下鉄に乗って再びホテルへ戻った。フロントの人が電話対応中だったので、構わず自分の荷物を取って出てきた。出る際に彼に荷物を示したら、受話器を手にしたまま身振りでOKを出してくれた。
 ホテルの目の前にスーパーマーケットがあったのでそこへ入り、ビールとつまみを買った。ビールはベックス、つまみはピッツァだったと思う。重たい荷物を引きずってミラノ中央駅へ。自動販売機で切符を買い、空港行の列車に乗り込んだ。
 長いヨーロッパ旅行も終わりだが、大した感傷も湧かない。やり残した仕事を淡々とこなしているような気分である。空港に着き、チェックインを済ませた。係員が「1000ユーロでビジネスクラスに変更できるが、どうだ?」と勧めてきたが、この期に及んでそんな贅沢をする気にはなれないので、断ってロビーに戻った。目の前を行き来する旅行客を眺めながら、さっき買ったビールを飲み干した。
 いよいよ出発時間が来て、セキュリティーチェックへ。手荷物をトレイに乗せ、ゲートをくぐり抜けようとすると、女性の係員に呼び止められた。「靴を脱げ!」との命令である。一瞬何のことだか分からなかったが、すぐに気づいた。底の厚いトレッキングシューズを履いていたので、靴をチェックする必要があったのだ。検査は仕方がないけれど、係員の口調がまるで看守の囚人に対するそれだったので、ちょっとだけカチンときた。
「なんで靴を脱がないといけないんですか?」
「脱げと言ってるのが分からないのか?」
「だからその理由を説明してください。」
「……あなたは赤ん坊か?それとも大人か?」
「もちろん大人ですよ。」
「『なぜ?』という質問が許されるのは赤ん坊だけだ。イヤなら飛行機に乗るな。飛行機に乗るか乗らないか、あなたの選択肢はそれだけだ。」
 というわけで「遊び」はここまで。さっさと靴を脱ぎ、検査トレーに乗せて、ゲートを素早くくぐり抜けた。すると「ちょっと待て!」と私を呼び止めた。
「そんなに速く通ったら検査できない。はだしで歩くのがイヤならこれを履いて歩きなさい。」
 そう言って彼女はビニール製のソックスを手渡した。見るとたくさんの人間が使った代物らしく、汚れてよれよれになっている。こんなものを履くくらいなら、はだしで歩いたほうがましである。私は断り、もう一度ゆっくりとゲートを通過した。
 荷物が来るのを待ったが、手荷物が引っかかってしまった。さっき使った栓抜きがバッグの中に入れたままだったのを思い出した。同じ女性係員が、ゴミでもあさるような荒い手つきで私のバッグを引っ掻き回している。ようやく問題の栓抜きを見つけると、それを手で掲げて別の係員に示し、再びバッグの中に入れた。それからバッグを投げ捨てるような手つきで私に渡した。私は受け取り、飛行機のゲートへと向かった。
 行きの飛行機では搭乗してから離陸まで、狭い機内で一時間も待たされてうんざりしたが、帰りは大したトラブルもなく、無事成田にたどり着いた。
 そんなわけで今回の旅行記も終了である。旅自体は一ヶ月弱だったが、旅行記を書き終えるのに一年以上(!)かかってしまった。ブログ記事という体裁だが、半分は私自身の備忘録のようなものだったので、読んでいて退屈な部分も多々あったと思う。辛抱強く付き合ってくださった皆さまにお礼を申し上げます。
 さてこの旅行記はブログ内で「2016夏・ヨーロッパの旅」というカテゴリーにまとめてある。それを見ていただくと分かるのだが、旅行記の冒頭に「ミラノから成田へ」というタイトルで、帰国後の日本の印象が載せてある。それを再掲し、長い旅日記の締めくくりとしたい。

                       ※

 九月二日に無事帰国した。八月は丸々ヨーロッパ過ごしだった。さすがに向うでブログ記事を書く余裕はなかったが、メモと記憶を頼りに「日記」形式で旅行中の日々を振りかえってみよう。しかしその前に(順序は前後するが)日本帰国後の印象を記してみたい。 飛行機はこれといったトラブルもなく、ほぼ定刻通り成田へ到着した。ゲートに降り立ち、建物の壁や床を眺めると「日本」の匂いがぷんぷんする。別に味噌や醤油の匂いがするわけでない。建物のつくりがいかにも「日本人が作ったもの」という感じを与えるのである。
 空港を出て外に立つと、その和やかさに驚いた。ぎすぎすした都会からのどかな里山風景へ戻ったような感覚である。ヨーロッパでは人間どうしが絶えず無意識に角突き合せているようなところがあるが、日本にはそれがない。逆に人と人との間に無言の信頼感が漂っているようにさえ感じられる。誤解のないように言っておくと、これは日本人どうしが「互いに愛と信頼でつながれている」とか、「目に見えない絆によって結ばれている」とかいったことではない。人間と人間のあいだの無意識の警戒感ともいうべきものが、ヨーロッパに比べて圧倒的に低いということである。日本を出る前は、この国の社会には殺伐とした雰囲気が蔓延しているように感じていた。しかしよその国と比べれば、日本はまだまだ「牧歌的」である。この印象は、電車で東京へ降り立ったときも変わらなかった。