断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

内村鑑三『代表的日本人』

 先日、初めて内村鑑三の『代表的日本人』(鈴木範久訳、岩波文庫)を読んだ。西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮の生涯を、主に外国人向けに英語で記したものである。五人の生き様は理想化され過ぎているきらいがあり、実際にはもっと多くの内的葛藤や紆余曲折があったはずだが、しかしそのことはさしあたり重要ではない。偉人の人生が読者にとって意義をもつのは、彼らが到達した境涯によるのであって、そこへいたるプロセスは、「最終地点」との関係においてはじめて重要性をもつからである。
 むしろ私が気になったのは、この本が現代人にどう読まれているのかということであった。というのもこれは、いわゆる「自己啓発書」の延長で読まれてしまうことが容易に想像できるからである。たとえば二宮尊徳を例に取るならば、勤勉、節倹、立志、刻苦勉励、確固たるビジョンと行動力、人材育成の大切さなどといった観点からの「読解」である。
 尊徳の生き方を現代の経営者やビジネスマンが参考にするのは、しかし容易ではないだろう。むしろここには、現代のビジネスとは正反対のモデルがある。たとえばある村の再建を委託されたとき、彼が採った方法とは「ぜいたくな食事はさけ、木綿以外は身につけず、人の家では食事はとりませんでした。一日の睡眠時間はわずか二時間のみ、畑には部下のだれよりも早く出て、最後までのこり、村人に望んだ苛酷な運命を、みずからも共に耐え忍んだ」というものであった。こうした記述は多分に誇張され理想化されているに違いない。しかし少なくとも彼が、労働と節倹をすすんで引き受け、「部下」である村人たちと苦しみを分かち合ったことだけは確かであろう。
 あるいはもう一つの例。破産の危機に瀕した米屋に、再建策を訊かれた尊徳は、「今残っている全財産を人にほどこし、裸一貫で新規にまき直すがよい」という方策を与えた。驚くべきことにこの米屋はそれを実行し、さらに驚くべきことにこの方法で財産を再建したのであった。
 二宮尊徳が行ったのは「まず人の心を変える」ということだった。事業の成功は、それを担う人たちの心を改革することによってはじめて可能となる。これが尊徳の変わらぬ信念であった。いまどきの言葉で言えば「人材開発の大切さ」ということになるのだろうが、そのために尊徳は、まずもって「自分」を捨てた。物質的な欲望はもちろんのこと精神的な欲望(自分可愛さやエゴイズム)も捨て去った。部下を心理学的にうまく操縦しようとか、飴と鞭で仕事のモチベーションを上げようなどといった小ずるいスキルとは正反対のやり方である。しかし容易に想像できるのは、ここまでやれば大抵の人間はついて来るだろうということである。自分が変われば人も変わる。根本から変えられるわけではないにしても、少なくとも自分への態度や接し方は変わる。そして実際、そのようになったのであった。
 『代表的日本人』で採り上げられている五人の中で、経営やビジネスのテーマにつながってくるのは、ほかには上杉鷹山であるが、鷹山もまた、まずは自分自身の身を切るという、儒教的な徳治主義を率先して行った人物であった。言うまでもなく彼は米沢藩主であり、貧農出身の二宮尊徳とは対照的な出自なのだが、その生きざまは驚くほど類似している。(五人のうち日蓮をのぞく四人は、儒教的な価値観の実践者である。その意味で彼らを単なる日本的美徳の体現者と呼ぶわけにはいかない。)
 さて最後に、このような五人を「独断と偏見に基づいて」ランク付けするとしたら、一番の高徳の士は「疑いもなく」中江藤樹であろう。