断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

旅人と旅好き―湯川秀樹の自伝『旅人』(3)

 同じ中学四年生のとき、アインシュタインが来日した。神戸から京都を経由して東京へ向かい、各地で講演旅行をしたのち、再び京都へ戻ってきて講演をしたが、「私は聞きに行かなかった。講演がいつ、どこであるかさえ、よく知らなかったのである。」
 実をいうと彼は、当時まだ物理学専攻を決めていなかった。そうした事情は差し引かねばならないにしても、世間の出来事へのこの無関心ぶりは際立っている。何しろ「天下のアインシュタイン」の来日である。実際、「人の集まりの悪い京都、ことに相対性原理という難しい話」にもかかわらず、この講演は超満員の聴衆を集めたのであった。
 先に挙げた学生ストライキのエピソードもそうだけれど、これは典型的な「クモ」タイプの反応なのである。この手の人間の関心は、もっぱら「内」へ向いている。つまり自分の思考や感情、あるいはその延長たる書物の世界が、彼の興味の対象であり、その中心であって、心的エネルギーの主要な備給先なのである。
 事実、少年時代の彼は「権兵衛」というあだ名(「名無しの権兵衛」に由来する)がついたほど控えめな存在であった。しかし外見はいかに優しくおっとりしていても、その内面は「神経がしじゅう細かく揺れ動き、負けん気の人一倍強い少年」で、小学校の「心性観察表」なるものに「内、剛にして、自我強し」と書かれていたという。
 容易に想像できることであるが、そんな彼にとって父・琢治とは、怖れや反感、反発の対象であった。「父に対する根強い反感があった。怖れもあった。それが私の心を閉鎖的にした。しかし外へ向かっては、閉ざされた自分の世界の中では、一人で、だれにも気がねもなく、私の空想は羽ばたくことが出来た。」いっぽうの父は息子のことを「独断的」で「何を考えているのか分からん」と思っていたらしい。
 人間というものは、一緒にいるだけで、互いに不思議な浸透力をおよぼす。鉄のそばに磁石を置いておくだけで磁気を帯びてしまうように、「他人」もまた、単にそこにいるというだけで、何らかの影響を私たちに与えずにおかない。だがその影響の及ぼし方は、必ずしも均等ではない。「声の大きい人間」は、そうではない人間にとって圧迫的なものに感じられるが、逆はそれほどでもない。ましてやそれが父と子の間であればなおさらであろう。
 二人の間の疎隔と無理解は、もちろん気質の違いによるところが大きかったのに違いないが、息子が極端なまでに自己を閉ざしていたのは、「外向的な父」に対する「内向的な息子」の無意識の自己防衛だったと思われる。父に対する反感が、彼の心を閉鎖的で内向的にしたというけれど、実際はこの二つは相互的であって、「反感」は「内向性」を強めたかもしれないが、「内向性」もまた「反感」の原因となっていたはずである。